2019年11月13日水曜日

国立ハンセン病資料館



まとまった時間があったので、以前から「行きたいな~」って思いつつも行けていなかった、東村山にある国立ハンセン病資料館へ出かけてきました。

日にちを選んだのは偶然だけど、きっかけは国会で「ハンセン病家族補償法案」が議論されるニュースを見たからです。これは行こうと思ったところに行かないといけないサインです。行ってよかったです。まさに今日衆院通過しました。まさか、狙ってないですよ。

とにかく、行って強く感じたのは、人間とは恐ろしい生きものということです。同じ人間なのに、見た目がよくないからってあそこまで忌み嫌うってどういうことなんでしょう。これって患者さんの周辺だけの問題ではなく、日本全体の歴史や政治、宗教と深く密接に関係しています。病気に対する無理解や偏見、治療薬ができたのは戦時中。

言葉にしつくせない、切なさ、やるせなさ、家族や友人。社会との断絶。どれだけの思いを抱えていきてきたのでしょう。それでも人は生きなければならない。

当事者の音声証言をひとつだけ聞きました。ほんとは全部聞いた方がいいけど、時間もなかったし、辛すぎて1つが限度でした。そして展示してある包帯や薬、その他の道具から叫び声が聞こえてくるようでした。

患者運動を応援している立場としては、彼らががんばってくれたからこそ今の医療があり、そして制度がある、ということを心していかなくてはならないと思いました。

ハンセン病は日本にも古くからあり、見た目の悪さから差別や偏見がありました。1907年(明治40年)の「癩予防に関する件」により隔離施策がとられ、療養所に収容されました。患者さんは外出を禁じられ、労働も強いられていました。また職員に従わないと処罰を受け、断種、堕胎も行われていました。プライバシーもなく、ただ生きているだけで、自由を奪われ、未来を奪われてしまった悲しい過去は忘れてはなりません。

その後第二次世界大戦後に治療薬が登場します。しかし国は積極的にハンセン病回復者を社会に戻そうとはせず、社会も彼らをうけいれないままでした。

1996年(平成8年)にようやく法律が廃止になり、2001年(平成13年)には国の対策の誤りを認める判決がでました。そのときの総理大臣は小泉純一郎です。一方回復者の高齢化は減少しています。

政策の問題点だけではなく、その時の歴史や日本の状況なども全てひっくるめて理解をすすめなくてはいけません。そして二度とこのようなことがないようにしてほしいと切にねがいます。



国立ハンセン病資料館
http://www.hansen-dis.jp/
私は清瀬駅からバスに10分くらいゆられました。多摩全生園の一角にあります。すぐ横には国立感染症センターハンセン病研究センターもあります。



緑豊かな静かな場所です。木の太さからかなり古くからの場所だと感じさせます。
近くに国立病院機構東京病院(東京医療センターではありません)があったり、救世軍清瀬病院があることから、政策医療であったことを物語っています。

入り口にはお遍路の恰好をした親子の像があります。ハンセン病回復者のなかには病気を知られずに迫害から家族を守るために遍路にならざるを得なかった人がいます。



中は撮影禁止なのですが、おいてあるものは隔離施策がなされていたときの様子をまざまざと見せつけられるものが数多くありました。

中を見た後は周囲をぐるっと歩いてみました。
















0 件のコメント: