2016年7月26日火曜日

第11回 英語で茶話会 「健康とは」


7月23日に11回目の英語で茶話会を行いました。
今回のテーマは「健康とは」です。なんてまたざっくりとした、、、と言われてしまいそうです。

いままではフリーで話をしていたのですが、今回は少しワークを入れてみました。
また、私からとっても簡単な「健康とは」という話を英語でするというチャレンジでした。英語は相変わらずハチャメチャですが、みんなの意見を引き出したりするファシリテーターとしての役割はなんとかこなせました。(ホッとしています)

WHOの健康の定義
「健康とは病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、全てが満たされた状態にあること」(日本WHO協会訳)

この定義ってとても曖昧。全てが満たされるってそんなことってあるのかしら。なんて思ったりします。健康とは本来個人的なものであり、自分の価値観そのものだと私は思っています。誰かに決められるものではなく、自分が健康か、そうではないかを選択するものなのではないでしょうか。一般的に言われる健康の多くは「公衆衛生」という言葉に言い換えられるのではないかと思います。なので改めてみんなが考える「健康」って何かを聞いてみたくて企画しました。


今回やったワークは、みんなで「健康」を絵に描いてもらいみんなで見せっこして、それぞれのイメージや考え方を共有してみました。共通する部分はあるけど、みんなバラバラですね。本当に面白い。健康な状態はニコちゃんマークや笑顔が並びます。

誰かといたり、くつろいだり、目的に向かって邁進したり。あかちゃんがお腹いっぱいでスヤスヤねているのは健康だよね。それと社会的に満たされるってなんだろう。お金持ちになったり、高い地位になることが健康なんだろうか。むしろ健康を害しているような気がします。

このワークをしたあと、病気の状態はどういうこと?SNS疲れとか、引きこもりはどうなの?などと話をしてみました。そうするとこれまで漠然と考えていた「健康」がみんな少し見えてきたようです。仕事で散々「健康」になることを話しをしてるはずなのに、考えていなかったものを見つけてくれたのではないでしょうか。

私自身は、自分が幸せだと感じられることが健康だと思っています。多少体調が悪くても、「ありがたいな」とか「楽しいな」と感じられる瞬間を見つけていくことが自分の健康への道ではないかと思っています。

最近の健康に関するブームって誰かに作られた健康だと私は思っています。「年齢を重ねても元気で」といったCMがあるかと思うのですが、そもそも年をとれば体はガタがきます。また高齢の人ほど個人差が大きくあります。それを一律の年齢で比較はできません。それを同じように言うのはあまりにも画一的すぎると思います。

すぐに答えはでなくても、それぞれ自分なりの「健康」を考えていく必要性を感じます。


JASDIフォーラムに参加


平成28年第1回JASDIフォーラムに参加しました。テーマは「その医薬品情報は患者の為になっているか ~チーム医療における医薬品情報のありかたを考える~」でした。



今回は、ほんとにいつもお世話になっている、みのりカフェの鈴木信行(のぶ)さんの術後はじめての人前に出る仕事でした。傷口が癒えないのに大笑いさせたり、乱暴にあつかってごめんなさい。
初めに謝っておきます、、、

今回の目玉はのぶさんだけではなく、神奈川県内科医学会会長の宮川先生も登壇されるということで、わくわくでした。

のぶさんの話は先日参加した患医ねっと主催の「あなたは受ける医療をどう選びますか?~トンデモ医療を見分け最適医療を患者自身が選択するために~」のときの話をベースに、患者がほしい情報はインターネット広告に埋もれてしまっている話と医療者の患者の生活やナラティブ(物語)を考慮しない情報提供について指摘しました。

先日のブログはこちら

また、宮川先生は患者さんに対して、医療連携携帯手帳をつくりビニールのチャックの袋に入れて渡しています。ここの中には処方された薬や検査データ、その他を一つにいれて、患者自身が自分で管理できるようにしている。また先生は一緒に薬を数え、誤差が出た薬について患者さんと一緒になぜ合わなかったかなどを考えています。その宮川先生は製薬企業の情報の偏りについて問題提起をしました。



また看護師の竹浪さんもがん治療において、健康食品を信じて薬を飲んでいなかった事例の紹介があり、病院薬剤師の東さんはコミュニケーションギャップについてお話がありました。

私は今回の話をきいて思ったことは、「医薬品の情報って『最終的には患者さんの健康に寄与するためのもの』であるということをどの人も忘れていないか?」ということです。
医療者が伝えたい情報を一方的に話をして患者が理解したつもりはインフォームドコンセントではないですよね。患者がほしい生活情報(医学的情報のそのさき)はおざなりになっています。またインターネットの情報がひどい状態になっていることに対して、そのままになっていることにのぶさんの指摘があるまで、感じることができない自分を含めた医療関係者にも問題があるし、製薬企業も健康食品などとの客観的な臨床データはほとんどなく影響すら提示できていない。本当に誰もが反省しなければならないことだらけです。

さらに製薬企業に対して言いたいことは、添付文書の内容しか情報提供しない姿勢は、製薬企業の患者さんの健康に医薬品の開発と情報提供で寄与するミッションから外れた行為だと思います。行き過ぎた販促が規制をつくっていることはわかりますが、本来の在るべき姿を忘れて適応外は話ができないというのはあまりにも本末転倒なプロモーションコードだと考えます。

そもそも適応外情報と安全性情報をごちゃまぜにして議論しているところに問題があります。添付文書の中にも適応外の情報は入っており、添付文書は文字数が限定されているから記載できない部分もあります。また添付文書の改訂までに至らなくても、市販後の臨床試験の結果など厚生労働省に出したデータだったら医療機関の求めに応じて公表しても問題はないはずです。それが企業としての姿勢ではないかと私は思うのです。

今回のフォーラムでは、そこまで議論はされませんでしたが、情報提供の在り方や医療者との付き合い方などまだまだ課題がたくさんあります。
今後も折をみて意見をしていきたいと思います。






2016年7月19日火曜日

女性のキャリア(駄文)


今月はブログの更新が少ないことに気づきました。

7月11日に看護師さん対象の勉強会で女性のキャリアについてお話をさせていただきました。(すでに1週間以上経過してしまっています、、、)

このときは自分のキャリアの他に以前やっていた「女子〜な会」の3人のことの話をしました。

最近は自分のキャリアについて振り返ることが多いです。自分は何者だったのかなと考えることが多いです。でも、考えても答えはないんですよね。やっぱり私は私。ともちゃんでしかないというのが結論です。

女性には、結婚、妊娠、出産、子育て、介護など、本当に様々ことがあります。私の場合、子供がいないのでちょっと当てはまらない部分もありますが、女性が担わなくてならない部分が本当に多いと感じています。みんなそれぞれに悩んで、頑張っていると私は思っています。

でも、一方で女性だけの視点でいいのかな、、、と思う反面もあります。

会社を飛び出してしまった人間がいうものなんですが、男性だって大変だろうなということも考えています。男性のキャリアと女性のキャリアって今ではわける必要ってどこにあるのかということも考えたりしています。

そもそも、英語のキャリアには経験という意味しかありません。経験は誰かに決められるものではなく、自分自身のものです。自分自身が人生においてどんな経験をしたいかと考えていくべきだと思います。

結婚すれば幸せになれるとか、子供がいれば幸せになれるとか、何かを得れば幸せになれるということではないし、思い描いた人生が必ずしもバラ色とも限らない。

どんな人生であっても受け入れて、最大限に活かせる自分になりたいと思っています。そんなしなやかな人を目指しています。





2016年7月10日日曜日

都市部の地域医療


この銅像は砂防会館のそばに立っていた銅像です。赤木政雄博士の像です。別にあまり興味があるわけではないのですが、なんとなく凛とたっていたので写真におさめてみました。


今日は内科学会の関東支部教育セミナーに行ってきました。会場は砂防会館の近くの日本都市センターでした。

今回、東京医療センターのESTで一緒に仕事をしている山田先生が登壇するということで応援に行ってきました。しかし、ぜんぜんプログラムをみておらず、行ったら知ってる顔が何人も・・・ すみませんでした。。。

今回のテーマは「都市部における内科医による地域医療の実践と課題」でした。内容は、わたし的には特に新しいことはなく、「そうだよね」と思って聞いていました。

医師の世界でも総合診療医が必要であるという認識は広がりつつあるのかな、と感じました。今回指摘されたものは、専門特化しすぎて専門以外診れない、診たくない医師が存在すること。その隙間を埋めてくれるのは総合診療科。という感じでした。総合診療医は病院にも開業医にもどちらにも必要であるという話でした。

基調講演の後はグループディスカッションでした。これは、先日の「市民の医療参加を創る会」のテーマであった「相談できるお医者さんをもとう」の医療側の実態のような気がしました。患者は医療を信頼しているようで信頼しておらずドクターショッピングし、結果として誰がかかりつけなのかわからない。医師は自分がかかりつけだという意識を持たなかった結果、ポリファーマシーの問題や人生の最終段階の医療の意思決定支援をするときに医療者も悩んでしまう。そこで顔の見える関係が必要だと言っても市民側の視点なしにすすめても意味がない。内科学会なので仕方ないですが私以外全員医師でした。

基調講演とグループディスカッションを通して、総合診療医や連携が必要と言われているが、それぞれの行動の意図や心理を理解できなければ先に進むのは難しいのではないかという思いがふつふつと湧いてきました。それは医師は患者あるいは市民の受診行動を理解できていないし、自分たちの業務が大変ということからの問題点しか話されていません。これではコミュニケーションがとれるわけがありません。

それと独居、外国人、低所得層などという括り方って実は間違っているのではないかという考えも浮かんでしました。こういう括り方をして対策をうっていくとなぜかそこからこぼれ落ちる人がいます。それはその括りと医療の必要度がさらにそこから異なっていくからです。


最近は市民側寄りで考える人が多いところと話をすることが多かったですが、ある意味勉強になりました。様々な視点に触れることで新たな気づきがあります。やはりどんどん問題点や気づきを発信していかないといけないですね。このギャップを埋めるための活動をしていきたいと思います。




2016年7月4日月曜日

トンデモ医療は本当にトンデモなの?



患医ねっとの主催の「あなたは受ける医療をどう選びますか?〜トンデモ医療を見分け、最適医療を患者自身が選択するために〜」を聞きに行ってきました。



いつもお世話になっているのぶさんです。


スピーカーの3名です。左から、一般社団法人グループ・ネクサス・ジャパン理事長の天野伸介さん、東京医科大学武蔵小杉 腫瘍内科教授 勝俣範之さん、朝日新聞社 高橋美佐子さんです。

今回はがん治療のトンデモ医療についてと、それに翻弄されてしまう患者がどうするべきかというお話の流れでした。患者自身が不安を解消するためにしてしまう行動を、どのように考え受けとめ、サポートしていくべきなのかを改めて考えてしまいました。まず、トンデモ医療を明確に定義したいと思います。ここでいうトンデモ医療とは科学的知見に基づかない医療行為とします。

トンデモ医療が巷にあふれる原因をまず考えてみたいと思います。それは科学的であることは言い方を変えれば専門的でもあります。一般の市民が医学に対して専門家のように科学的であるはずがありません。人間は自分の知り得る情報の中で合理的に動こうとする動物です。そう考えた時、普段から意識していないと情報が限られてしまいます。また、こう言ってしまうのも良くないのかもしれませんが、論理的思考を持って情報を吟味できる人も必ずしも多くないと思います。

また、インターネット検索も非常に偏っており、病名検索をしたときに正しい情報が上位に上がってきません。広告宣伝をするためにSEM(検索エンジンマーケティング)やSEO(検索エンジン最適化)によってはじめに飛び込んでくるの情報が必ずしも医学的に正しいかというとそうでもない。最近のマーケティングはどんどん姑息で、訪れたサイトの情報を吸い取りそこのサイトの広告を何度も出してきます。普段ならいい加減うんざりだと思うことも、深刻な病気だったら藁をもすがってしまうかもしれません。

一人の患者として考えてみたとき、深刻な病気と宣告されたらどのように感じるでしょうか。まずは頭が真っ白になってしまうでしょう。決して冷静な判断ができるとは限りません。冷静になる過程においても普段では考えられない行動をしてしまうのは容易に想像できます。そのようなとき目の前に出てきた情報に飛びついても全くおかしなことではないと思います。

また自分の治療の過程で医療者とうまくコミュニケーションをとれないこともあるかもしれません。そのボタンのかけ違いが医療不信に陥ることもあるかと思います。そんなときに言葉巧みにまた、患者の話をよく聴く人がいたらその人のことを信じてしまうこともあるでしょう。人は自分の話を聞いてくれると思うと(本当きいていなかったとしても)相手を信頼してしまいます。それが人間というものだと思います。私がトンデモ医療だと思っても、それをトンデモだと思わず自らの選択という責任をもって信じるならそれは救いなのかもしれません。

ここでも、先日企画したイベントのテーマである「相談できるお医者さん」が近くにいれば、後から後悔することが少なくて済むのではないかなって思いました。しかし広告の規制はすべきですよね。間違いなく。取り締まりもIT技術を使えばできるはずなんですがね〜