2016年3月28日月曜日

ゆるやかな合意について考える


突然降ってきたワードに身を任せ、思いつきのままに人を集めて話をしてみました。
知りたいとか興味の湧いたものに対して、突き詰めないと気が済まない性格です。

FBにはすこし書いたのですが、ブログには初めて書くので、なぜこの企画をはじめたかすこし書いてみます。

私は活動のなかで人が集まり合意形成をしていく場面をよく見ています。大きいものから小さいもの。医療の場面、コミュニティや会社。合意の内容も様々です。おもしろいもので、はっきりしているものも曖昧なものもあります。

私自身もチームでの仕事が多く、裏方スタッフとして、時にはリーダーとしてみんなの合意形成をして組織を動かしていかなくてはなりませんでした。それは社内外どちらもです。そのときになかなか人って動かなくてどうすればいいのか模索していました。もちろんその苦労は今も同じです。

いろいろと経験をしていくうちに人はなぜ動くのか、なんとなくわかってきたところがあるのですが、だんだん集団が同じ方向に動いていく不思議に疑問を抱くようになりました。合意とはなんだろう。。。その先になにがあるのか。。。
合意をするプロセスには対話が必ずあり、その対話が人のなかの何かを変えていく。

この問いを深めてもっとみんなが医療のこととか、社会のこととかを話し合えるようになってほしいと思っています。これがベースの思いです。

次に、今回の企画の直接的なきっかけについて書きます。
それは先日行った軽井沢での私たち女子4人の行動をみていたときに閃いたのがきっかけです。この女子集団の目的はショッピングをすることとボーリングをするということだけです。なぜみんなで一緒に行動しているんだろうって不思議に感じました。

私はどちらかというと個人行動が多く、先日母と妹と行ったイギリス旅行もフリータイムは一人で回っていました。この違いはなんだろう。そして軽井沢の4人の関係性のなかでなにが動いて方向付けされてこの行動をしているのか?と考えていて、途中は割愛しますが、突然ふって湧いた言葉が「ゆるやかな合意」だったのです。

でもそれがどういうことなのか、そしていま自分が様々な活動で見ているものと同じかそうでないか、もっと考えてみたいと思ったのがきっかけです。

やっとちゃんと書けた!言語化できて嬉しい(^^

そして本題。今回はFBでこの衝動のままの「興味あったら声を書けてください」に反応してくれた人を集めてブレインストーミング的に「ゆるやかな合意」を話してみました。

その結果というかそのときのメモが写真です。キラキラさせたのは私の気持ちです。
こんな私の意味のわからなさに乗ってくれたお友達に感謝をしています。「なんか面白そう」って話に乗ってくれるなんて本当に感動しました。そのときにも話をしていたのですが、これもゆるやかな合意じゃない?(笑)って思いました。

約2時間話をしてすこし見えてきたものがあります。それは合意と同意の違いと各場面ごとにどう違っているのかということです。こちらはまた別に書きたいと思います。

今回は合意と同意の話が中心だったので、これをすこし自分で深めたのちにもう一度「ゆるやかな同意」について話をしてみたいと思います。

思い切ってやってみて本当によかった!ありがとう!

2016年3月26日土曜日

英語で茶話会は英語教室ではありません


英語で茶話会の目的は、英語でコミュニケーションをする場をつくるということです。何かをインプットするためではなく、単純に話したいことを英語で話すという場です。
どうしても英語ということにとらわれがちですが、この場の本質はコミュニケーション能力の強化です。

今回はジェネリックの話題でしたが、ジェネリックの「Quality」になったときに意見が分かれました。議論をするときにきちんとQuality contorol(ばらつき)の話でのQualityなのか、Bio-availability(主成分として生体に与える効果)の話でのQualityなのかをはっきりさせることで議論の切り分けと合意のポイントが見えました。意見が分かれたときに、一体相手は何を言わんとしているのか聞く必要があります。そして英語を使うときはspecficに事柄を伝えなくてななりません。そのためにはその事柄をきちんと理解していることが重要です。これを曖昧にしてしまうことはわかり合うチャンスを見逃してしまうのです。日本語で会話しているときにありがちなミスコミュニケーションの原因の一つです。言葉を定義することによってスムーズに意見交換ができます。それをみんなで体感することができました。

また、この会のいいところは一緒に企画をしているひろちゃんがハワイに住んでいたときに調剤薬局でテクニシャンとして仕事をしていた経験があり、アメリカの制度のなかで実際の現場で何が起こっていたかをリアルに話してくれるところです。おかげで日本とアメリカの比較がとても良くできます。今回も眼科の手術を片目ずつしたら保険会社にチェックが入り「何それ!」話とか、リアルにシッコ(マイケルムーアの映画)ばりに、友人のはなしもしてくれました。救急で他の島へヘリで運ばなければいけない事態で「あなたは保険は何に入っているの?」「ヘリを使うとしたらいくら、つかわないで近くの医療施設に運ぶといくら。さあどっちを選ぶの?」ということを救急隊員に言われるとか。。。
ああ、日本っていい国だ〜 なんて思いながら聞いていました。どうやってアメリカ人はなぜジェネリックを選ぶかリアルにわかりました。やっぱり日本の医療はどれだけ有難いのか本当によくわかります。

ほかにも日本の透析の患者さんの問題点やそれに関連して少しだけバイオシミラーのやオーサライズドジェネリックまで発展して、私はとても楽しい時間を過ごせました。理解を深めることってこういうことなんだろうなと思いました。

こうやって書いてあると、なんだか難しそうなことを話しているなと英語に対してハードルが高いと思っている人は感じるかもしれませんが、実はそんなに複雑な英語は話していません。単語自体は中学生レベルです。専門用語がでてきたりするけれど、それはあまり会話に影響しません。

コミュニケーション能力を高めたいと思っている方はぜひ私と一緒に英語を話しながらお茶しましょう〜〜

夢種会に参加してきました




夢種会とは「夢の種をみつけよう」が正式名称です。いつも行っているみのりカフェで行われるイベントの一つで第1回から参加しています。
会の目的は小さな夢の種をなんとかみんなで「芽がでないかな〜」ってお水をあげたり、肥料をあげたり、日当たりを考えたりとする会です。スピーカーだけはなく、その周りのひとも何かそこで気づくものを持って帰る場になります。

今回は「脳卒中後のリハビリ分野で保険外ビジネスを創造できないか」ということがテーマでした。プレゼンの内容は割愛しますが、私のビジネスに対する考え方は「誰を幸せにしたいか、そのひとの真の困りごとはなに?」を考えなくてはならず、ビジネスを始めたら最後までその人を大事にすることが重要です。「制度が変わったからやめます」的な気持ちで始めるなら初めからすべきではないと考えています。継続することがビジネスの使命であり、そうしないと不幸になる人ができてしまうからです。

そう考えた時、「脳卒中後のリハビリの人を幸せにするために何が必要か」を考えるとシンプルに必要なものが見えてくると思います。この日は同じグループに言語聴覚士のお友達と一緒で、彼女はこの4月からフリーになるということもありプレゼンをした人ではなく彼女の夢を育てていました。

彼女は言語聴覚士として本当によりよいリハビリというものを真剣に考えていて、聞いていて本当に気持ちよくなります。今度、さらに彼女の夢の全貌を聞きたくなりました。

私自身がこの会を通じて考えていたことは、やはり制度があるのにうまく使えていないなということです。そこの原因の一つに市民の目線で考えると医療と介護の差をあまり認識できないまま、制度の身勝手さに翻弄されているのでは?感じました。使う人に優しくないんですよね。申請主義が問題とかそういうことではないです。

患者・利用者側の受け取り方の問題はやはり大きいと思います。基本的に保険の中で医療が行われ病院や医療機関で医療サービスが提供されます。使う市民にとってみれば病気になって病院にいって病院の都合で他に出されるという感覚でいて、その後はどうやら介護保険というものが使えるらしい、じゃあそれでなんとか・・・と入院〜退院後リハビリを見ていたら、保険は同じものという捉え方をしても仕方ないと思います。つまり生活の一連の流れに起こる出来事が途中で制度分断されているために起こる現象だと思います。これはサービスが相手にとってどう感じるか見えるかという視点です。しかし制度は制度。

とはいうものの利用者にとってうまく使えなければそれはないものと同じ。だから保険外のサービスでビジネスをという発想になってしまうのでしょう。しかし今の制度内で解決できる問題はいっぱいあるんですよね。無い無いと思っていても、実はそこにできる方法があったんです。

「ビジネス〜」とか「いまの保険では賄え無い〜」と言っている多くの人は制度の青い鳥症候群とで言ってもいいのかもしれない。。。。

というのが感想です。




2016年3月21日月曜日

倫理コンサルテーション


3連休はずっと倫理の人でした。写真は愛宕神社にあった招き石です。なでなでしてきました。

今日は病院倫理委員会コンサルタント連絡会議に参加させていただき、東京医療センターの倫理サポートチーム(Ethics support team:EST)の運用部分についてお話をしました。
人前でお話させていただける機会はとても有り難いです。他の病院の取り組みや質疑応答を聞きながら、いろいろと考えていました。

やはりここでも診療報酬の話がでてきました。いいことをやっているのに「なかなかお金がなくて」「点数が・・・」という発言をきいてしまうと、ついつい「お金よりもまず結果を出すべきであり、どうしたらアウトカムをだせるかを考えないといつまでたってもできない」とみんなの前で言ってしまいました。

こういう意見って医療機関の発想なんですよね。企業のなかで専任の部隊で仕事ができる余裕のあるところなんてそうそうないと思います。しかもスピーディにことを立ち上げるにはタスクチームを組んで、成果を出す方が早く、組織をつくるのはその結果で検討するのは別に不思議な話ではありません。それに兼業で仕事は当たり前です。
確かにイニシャルコストがかかったりするので別立てで立ち上げ予算は必要だと思います。そういう意味ではお金が要ります。しかし「点数がつかないとなかなか、、、」といわれると目的と手段がおかしくなっていないかと思うのです。点数だっていつまでつくかわかりません。

まあ、ちょっと刺激的だったかもしれませんが、それはそれでストレートにいわないと伝わらないところもあるので良しとして考えようと思いました。

今後、このあたりは地域包括ケアの文脈でも語られると思います。また医療安全、研究倫理との組み合わせのなかで様々な展開があるだろうと感じられる話でした。

参加の機会をいただけたことに本当に感謝です。

2016年3月20日日曜日

臨床倫理ワークショップに参加




日本医学教育学会倫理・プロフェッショナリズム委員会主催の「第6回臨床倫理(白浜記念)ワークショップ」に参加してきました。このワークショップは3回目くらいです。一方的な講義ではないので、いつも楽しく学んでいます。2日間って結構タフだと思います。しかし楽しいのでついつい調子に乗ってしまうのですが、終わるとぐったりです。。。

臨床倫理の分野とは、「臨床医学における倫理上の問題を明らかにし、分析、解決するためのアプローチを提供する実践的な学問」(ARジャンセンほか)です。今の医療の問題を考えるためには基本的におさえておくべき考え方のポイントがたくさん詰まっている分野です。倫理原則に基づき意思決定の根拠となるものを整理していきます。その時には単に医療上の問題だけではなく、ときに社会資源も同時に検討します。

今回は頭の整理にとてもよかったです。以前よりも臨床に近いところで仕事をしているので、まだまだ経験は不足していると思いますが、市民側、医療者側のどちらの立ち位置でも視点が変えらえる自分というものに少しずつ自信がついてきました。

終わってみて、ワークショップで取り上げた内容をアレンジして市民と医療者が一緒に考えられる場が作りたいと強く思いました。市民がもっと公平公正に医療のことを考えるには倫理原則のことや公平や公正とは何かを学ぶ必要があるからです。

どうしても「命」のこととなると人はおよび腰になります。また特に日本人は死を忌み嫌うものとして話題にあげようとしません。しかし、今の医療の問題は医療現場だけの話ではなく、日本全体の社会保障の問題まで関係してきます。それをみんなで話をするためには、臨床倫理の原則や一人で決めない・みんなで決めるということを実践していく必要があると私は考えています。

少しずつ取り組んでいきたいと思います。

2016年3月18日金曜日

さんむ医療センター「市民のための疫学入門〜正しい健康情報の読み解き方〜 」


本日は東金の人になっていました(笑)

今回は疫学をベースに、巷にあふれる健康情報のなかで統計データという切り口で考えてみました。

後期研修の高橋先生のワークショップのお手伝いをさせていただいていますが、毎回いろんな気づきがあります。研修にいらっしゃる先生のキャラクターでこんなにワークショップの雰囲気がかわるんだなって改めて思いました。もちろん準備の仕方もです。。。

毎回、担当の先生と打ち合わせをさせていただいてテーマを決めていくのですが、疫学研究の話をするという話になった時は、「きっと市民にとっては難しいんだろうな」と思いながらも先生と一緒に内容を作っていきました。

はじめの講義は「疫学とはなんぞや」、「疫学研究とは?」をお話いただきました。グループワークはヘルスリテラシーにつながるようと工夫された内容でした。千葉名産のピーナッツネタで東金で疫学調査を実施するとしたら?というお題で、事例を出した2つの群での違いは何かということを話し合いました。

話し合った後はグループで話し合われたことを全体にシェアして、高橋先生に解説をしていただきました。みなさんとてもいい視点で意見が出たと思いました。

全体的に市民の皆さんの答えにくい質問を真摯に受け止め、丁寧に回答をされる先生の誠実さがとても伝わってきました。終わったあとに、先生もいろんなことを学んだとおっしゃっていました。

高橋先生の今後のご活躍をお祈りします。

2016年3月16日水曜日

ちょっと怖いこと


写真は先日行った軽井沢です。またまた本文とは関係ありません。

今回は教育のテーマの4つ目です。今回は教育の怖さです。

教育の場面で感じていたことがあります。それは教育はある意味で洗脳とかわらないということです。というのは、先日のブログで書いた「教育の目的は行動変容」つまり、行動変容の先にあるどんな行動にさせてたいかということに焦点をあてるとわかると思います。もう少しいうと戦時中の学校教育を思い出してみると戦争に向かうという行動変容をもとめていました。それって完全に洗脳ですよね。

教育理論のベースは心理学が含まれています。心理学は心と脳の科学と私は理解しています。人間の行動を分析していくのですが、人間の認知というものも同時に分析をしていくものです。ここでの理論は様々な実験によって立証されて一般化しそれぞれの分野で応用されています。その応用がマーケティングであり、教育となります。そう考えると知識は使い方を誤るととんでもない方にいってしまいます。いい意味で教育の理論を使っていければいいのですが、自分の思うように相手を行動させるためのものに使ったらそれは悪です。

戦時中の教育は極端な例ですが、他にも教育の恐ろしいところは一見いいことをしているという罠があることです。教えよう、教えようとしている姿勢は端からみると非常に熱心で素晴らしく見えます。しかし一歩間違えると相手に擦り寄り、そして依存に陥らせてしまう可能性があります。本当の意味での教育は自立を目指すべきものです。

例えば仕事の不振に悩んでいる人がいるとします。本来は問題行動を抽出し、その問題解決方法を学ぶことがよいことです。しかし教えよう教えようと熱心になるあまりあれこれ指示を出してしまうと受講者はそのとおりにやればいいと思ってしまい指示がないと動けなくなってしまいます。熱心なのがいいわけではないのです。

決して熱心がいけないと言っているのではなく、受講者の自立を促さないことは教育をする者がすべきことではないと言っているのです。なんのために教育をしているのかと常に問わないと「●●さんのおかげです」とか「勉強になりました」という言葉をかけられたいだけの自分の承認欲求を満たすための自己陶酔型教育者になってしまいます。

もっと怖いのが自己承認欲求を満たすために心理学知識を使ったら、、、意識的にやっていればまだ救いもあるかもしれませんが、無意識はもっと怖いです。これは教育者側の上下意識も関係してきます。教育は相手がいくら年下(子供も含む)であっても受講者から学ぶ姿勢がないと「自分は偉い人」の立場でしかものを考えられなくなります。

教育の立場は常にニュートラルな関係で、教えるというより一緒に学ぶというのが私の考え方です。

2016年3月15日火曜日

基礎や理論って大事


教育のテーマの三つ目です。理論を勉強して思ったことを書きます。写真は私がよく行っている某喫茶店のスイーツです。本文となんら関係はありません。

私は教育の仕事がなんやかんやで7年と、もっとも長くやっていたわけです。その間に独学で教育学を学びました。それは経験や勘頼りの教育は見ていて本当に痛いと思っていたからです。

「昔は●●だったので、こうだ!」「いいんだ、俺のいうことを聞け!」

大学時代までは結構こんな輩はごろごろしていましたが、学生(体育学部)時代に理論背景のない指導がいかに怪我をさせてしまうかということを学んでいた私はできるだけ効果的な科学的指導をするべきという考えが染み付いていました。

「なんでできないんだ」 

できない人になぜって言われてもできるわけないですよね。わかっていたら違うと思います。

経験と勘は非常に大事なことです。しかしその経験と勘は人に伝達するのは非常に難しいのです。できない人をできるようにするためには伝え方も大事です。私が理論を学ぶ理由はそこにあります。

私ができたこととが他の人にはできないことって多くあります。またその逆もあります。できるようになる法則は必ずあるはずなのですが、多くの場合、なぜ自分がその行動や動作ができるようになったのか分解して考えることはないと思います。それをあえて分解することによって、何ができていて何ができていないかを確認しできるようにするのがトレーニングです。もう少し言うと、経験で培われた勘を紐解く作業をすることによって指導、コーチをするのが経験と勘に頼らない指導です。運動指導もセールスのトレーニングも基本は同じです。

ありがたいことに、教育に関してはどのあたりの勉強をすればいいのかを教えてもらったのは、MRセンターのトレーナー’sトレーニングです。そこで教育理論の基礎を学びました。はじめて教育工学的理論に触れました。いわゆるインストラクショナルデザインです。

そこで気づいたのが、インストラクショナルデザインはマーケティングの理論と似ていることです。そうなると俄然理解のスピードは上がります。研修の設計時に使うADDIEモデルも経営やマネジメントのPDCAサイクルだし、他の理論もマーケティングの要素の非常によく似ています。それもそのはずです。ベースがともに心理学とデザインだからです。大学の時は体育心理、教育心理学の勉強をしました。それがわかると自分の理解がとても早かったことを覚えています。ここでも基礎があると応用は比較的簡単だということもわかりました。

それと理論背景があると強いです。きちんとやることも崩すことも両方できます。
それはどこを崩しているのかをわかるからです。それを後から分析することも可能です。

自分がどのくらいできているかはさておき、また教育の仕事を離れていてもそんな視点で私は見ています。


2016年3月14日月曜日

無事に発表終了しました


3月12日にリスクマネジメント協会の年次大会がありました。研究発表会で、「ソーシャルキャピタルと公的医療介護保険サービス」をプレゼンさせていただきました。
今回は私ともう一人(ソラスト廣瀬鉄矢さん)との共同研究です。今回の発表内容は、廣瀬さんの行った、神奈川県のある地区の居宅介護支援事業者に行った調査をソーシャルキャピタルの視点で考察するものです。自分の研究というよりは、廣瀬さんの研究のお手伝い的な位置づけです。

高齢者福祉サービス等の利用率など利用者の属性などから分析したものです。
人とのつながりがある人はなんらかのサービス(公的サービス、インフォーマルサービス)を使うようです。情報を入手しやすいということなのでしょうか、ここについては立証までできませんでした。またある特定地域の調査ということも理解しておかなければなりません。

それでもソーシャルキャピタルという概念を聞いている人に伝えることができたことは意義があるかなと思っています。私の目的はただそれだったので、まずは無事自分の言いたいことは言い切ったと思っています。質疑応答の時は幸手の事例まであげちゃいました!みんなメモしているのをみて、しめしめとほくそ笑んでいました。

来年度はまだどうするか決めていません。というのはリスクマネジメント協会の研究会は個人発表は無いのです。どうしてもグループ発表になります。現在、考え中です。

2016年3月10日木曜日

研修依頼を思い出してみた


研修部にいた時に思っていたことを書きます。
前職の会社は研修体系がしっかりしており、導入研修、継続研修はそれなりに評価が高かったと思います。(もちろんばらつきもありますが)ビジネスをスタートさせるときも教育をセットで売り込むことも多かったくらいです。そうすると結構無茶なオーダーが多いんですよね。

「1ヶ月で即戦力に!してほしい」
あの〜、受講者のレベルを考えてください、、、それと即戦力の定義って何ですか?
と、思うことしばしば。。。
これは間違いなく研修部にいる方は誰しも同じことを思っていると思います。

研修でできることなんて、たかがしれています。なのに期待して自分の思った通りじゃないと研修が悪いとすぐ言います。

不思議ですよね。魔法か何かのように思っているのかな?といつも思っていました。

教育の目的は行動変容です。研修部は行動変容をさせるスキルをもつ専門家の集まりの部署だと私は考えています。必要知識のインプットは講師が一方的に話をする、もしくはテキストを渡せばいいので簡単なことですがそれだけでは人の行動は変わりません。それを手を変え、品を変えでトレーニングしていくのが研修部の仕事です。

多くの方は研修とか教育に一体何を期待しているんでしょうね?
必要知識のインプットだけならいくらでもできます。しかし受講者がインプットされた情報全てを記憶できるはずもなく、ましてやアウトプットして応用させるまでなんてそんなに簡単なことではありません。

こちらも角が立たないように依頼者に「具体的には何をどのようにしたいと考えていますか?」とか、「即戦力というのは、何がどのレベルになっていれば即戦力があると言っていいのですか?」と丁寧に聞きます。そうするとほとんどの人は答えられません。言語化できていないだけなら、私もきちんと確認の質問をしていくので、大変ではありますが、研修を考えるることはできます。一番問題なのは、「なんでもいいからできるようにしてくれればそれでいいんだよ。君らプロなんだろ。」という人です。完全に思考停止状態です。

こんな経験から、なにか問題があるとすぐ研修とか教育を持ち出してくる人たちはある意味丸投げなんだと私は思っています。ある程度、具体策を持っている人は何をどのようにをきちんと論理的に話をすることができることがわかっています。

それと「教育」はどこか特別な人がするものではないと思っています。誰だってできと私は思っています。教育研修の仕事をしておきながら何を言い出すのかと思われるかもしれませんが、教育の本質は「学ぶ力を育むこと」です。学びは本人が学びたいという気持ちがあれば、いつでもどこでも誰とでもできるものです。つまり誰でも「教育」はできるのです。自分の気づきや経験を伝えることも教育の一環です。学びたい気持ちにさせるのも別に教育のプロではなくても誰でもできますよね。

じゃあ、「研修部いらないね」と言われたら「方法論のプロなのでご相談にのりますよ」と少なくとも私は答えます。

教育や研修が必要だと思ったら、その問題について5W1Hに落として本当に教育研修が打ち手ですか?ということを再考することをお勧めします。

自分の思い

なんとなく今回は言語化したくなったものを書いています。
テーマは「教育」です。

私と「教育」の仕事との出会いは大学のアルバイトで、スイミングのインストラクターをしたのが一番初めです。他にも体操の先生とか、家庭教師もしました。その後も仕事としての「教育」はありませんが、何かと教えることは結構あったように思います。いわゆる「研修」ということを通して「教育」をする仕事は前職の最後の仕事です。そこで学んだこと、気づいたこと、感じたことを幾つかに分けながら書いていこうと思っています。

私が考える「教育」とは、人の成長を慈しむことだと思っています。
仕事をしていて何が楽しかったのか、何がやりがいを感じていたのかと振り返ってみると、できなかったことができるようになった瞬間のあの表情がなんとも言えず嬉しいと感じる自分がいました。

部下や後輩を「教育」する人も人の成長を楽しみにしていると思いますが研修部となると、必ずいつか研修は終わって巣立っていきます。そして時々仕事で会ったりする関係でだんだん自分のところから巣立っていく人たち見ながら心から「頑張って!」って思って仕事をしていました。「久しぶりです。いま現場ではこんなことをしています」という話を聞くのがとても好きでした。もちろん、いまも大好きです。これはかなり前から気付いていた自分の感情です。

つまり私は考える「教育」とは何かを教えることではありません。漢字も「教える」ことと「育む」こと両方使っています。つまり教えてそれができるようになることがゴールではないのです。自分が教えた以上になることを望むこと、自分を超えていってもらうこと。これが「教育」です。

多分私はずっとこの私が考えている「教育」を仕事にしていくと思います。そして自分を超えてくれる人が世の中にたくさん出てほしいと心から願っています。



2016年3月9日水曜日

第4回市民の医療参加を創る会「あなたは医療にいくら払っていますか?」


3月8日恒例のみのりカフェで第4回市民の医療参加を創る会を実施しました。

今回は地域医療を育てる会で一緒の野村さんに保険料の負担について、彼が調べたデータをもとに保険者ごとの違いを話していただき、その後に三原さんにその背景を歴史や仕組みを紐解き、その後、みんなで議論をしました。

制度の複雑さに初めは質問もでない状態でした。グループで話すとすこしずつ話がではじめました。理解できなかったり、考えてもみなかったことを提示されてどうすればいいのかわからない状態だったのではないかと私は見ていました。
大体、想定内の反応です。

今回の内容は、保険料の負担額が、職業・居住地・年齢によって異なり、算出方法も違って均等な負担をしている状態ではありません。しかし受ける医療サービスは全国どこに行っても同じ処置なら同じ金額です。この不公平感はみんなはどう思うか?という問いです。

増大する医療費を保険制度を維持していきつつ費用負担をどのように考えるのかというのは初めて聞いた人にとっては複雑怪奇な話です。あっちこっちから拠出金があって、頭の中は間違いなく「??????」 みんなの顔は真剣なんだけど、頭の上に「?」が並んでいたのを見たような気がします。

個人的には、今フリーになったこともあり「なんでこんなに高いの?」というのは実感しています。でも、払わないと保険診療が受けられないと思うと「払うしかないよね」とも思います。

社会保険は社会で助け合いの精神からお金を出し合う仕組みです。自分だけがよければというのはちょっと違うと思うのですが、「払っているんだから使わないと損」という人もいます。困ったものです。

実は私がこの企画を考え始めた時、考えていたことは「連帯」って何?です。
ずーっとこの言葉がぐるぐるしていました。

辞書で調べてみました。

れん‐たい【連帯】 [名](スル) 
1 二つ以上のものが結びついていること。「―感」 
2 二人以上の者が共同である行為または結果に対して責任を負うこと。「―して事に当たる」 


どうやら結びつきと一緒に結果に対して責任をおうということなんですね。いまの保険者はアウトカムに責任をもつ、つながり、連帯になってないよね。なんて思うわけです。 


それと、保険者のせいにして自分(個人)の責任を放棄している国民も悪いよね。その時点で他人事です。無関心って一番良くないことですもの。 医療費の増大は様々な要素があります。今回はどのような負担が公平かでしたが、医療の中身の話も今後していきたいと思っています。





2016年3月6日日曜日

第4回くらしの講演会


地域医療を育てる会と東金市社会福祉協議会との共催でくらしの講演会が行われました。
今回のテーマは「なじみの店が閉店!そのときあなたの健康は・・・?」でした。
フードデザート問題を取り上げた講演会です。基調講演にあの幸手の中野先生にきていただきました。私は講師の駅から会場までの運転手で参加です(笑)

フードデザート(Food deserts)とは生活環境の悪化の中で健康的な食生活の維持が困難となった、都市の一部地域を意味します。単に買い物が不便という問題ではなく、社会的排除問題、社会格差の拡大や社会構造の変化、食育などが介在しています。

まさにタイトルにある馴染みの店が閉店することによりフードデザートはおこります。
人口が減少している地区で、採算がとれないからといってスーパーマーケットが閉店してしまい、これまで冷蔵庫がわりだったのに買い物が大変になる。そんなことが起こっています。

この動画は幸手の事例です。



人の健康は個人因子だけの問題ではなく生活環境等さまざまな因子が相互作用によって影響しあいます。スーパーマーケットの買い物を自分のこととして考えると、季節の食材をみて楽しんだり、そこまでいく間に他の買い物をしたりと結構たのしかったりするんですよね。それがなくなるとなるとそれはそれで生活が変わってしまうというのはよくわかります。

今回はその話を中野先生にしてもらったあと、じぶんの馴染みのスーパーごとにグループにわかれディスカションしました。私は東金の人ではないので、空いてるグループに入りました。そこが閉店してしまったら?ということで話をしたのですが、はじめはなかなかイメージがつかないようで、「車があるから他にいく」などと話していました。しかし車の運転ができなくなったら?「インターネットで注文する」、「コープで買う」などの意見が出てきました。あと「コンビニで買う」というのもありました。

まだまだ先のことだと思っていてもいずれやってくる自分の老いと人口減少による問題は簡単に答えはだせません。

東金にはデマンドタクシーというものがあるそうなんですが、一回400円だそうです。往復で使えば800円。買い物に毎回800円かかるというもの悩ましいです。配達やインターネット、コープの宅配だって大型スーパーよりも割高のはずです。しかし割高のものを使うといっていますが、安い大型スーパーでものを買っていたことで、馴染みのお店を失っていたことには気づいていません。

大量生産、大量消費、コストダウン。。。これまでやってきていた経済活動のツケが回ってきています。これに気づいたらどこかでこれをやめないといけないのです。

またかわりに買い物をしてきてくれる仲間がいないのも気になるところです。昔のおすそ分けもなくなりましたよね。なんでもサービスとなってしまい、経済活動に思いやりも埋め込まれてしまっています。

お金を地域でどうやって回すのかを本気で考えなくてはいけません。経済活性化という言葉を軽く使う方がいますが、本当に必要なところにお金をかけ、それが回る仕組みを考えなくてはなりません。これは右肩上がりの高度経済成長モデルとは全く異なります。

間違いなく車に依存した生活をしている地区は必ずこの問題がでてきます。いまは大丈夫とみんないうけれど、5年後は本当に大丈夫のか、よく考える必要がありますね。

2016年3月5日土曜日

コラムの最終回 卒業

日刊メディカルビジネス情報源で2014年1月29日からスタートしたコラム、「女性がいきいきと輝くために ~Lovely Life Project~」を3月3日で最終回にしました。

約2年間で、64回の連載でした。はじめは毎週、その後月2回、昨年の後半から1回でしたが、よく続きました。はじめたきっかけはメルマガを編集をしているえりちゃんからの依頼でした。今回最終回にするきっかけもえりちゃんの卒業です。コラムを書く機会をくれたえりちゃんに感謝です。本当にありがとう!

何を書いていたかというと、ブログの延長線みたいな内容です。タイトルは女性をいれていますが、私がそのときに感じたことを書いていました。私は女性だし、自分がいきいきできることってなんだろうということにフォーカスして書いています。

久々に読んでみると、面白いもんです。それに結構ギリギリに書き上げていたので誤字脱字もあるのがちょっと恥ずかしい。酔っ払って原稿を書いていたときもありました。それでも原稿は一度も落としてないですよ。

あらためて、いま一区切りという感じがしています。
このコラムをはじめたときは、いま以上にいろいろと迷いながらやっていた時期です。変わってきたかなと思う部分と変わらないな、と思う部分もありますね。このコラムによって自分の考えを言語化することができたんですね。

ちょうどいい時期だと感じています。卒業式シーズンだし、手放すものを決めたばかりだし。でも、ちょっと寂しい。やっぱり卒業ですね。

新しい何かのためには何かを手放す時期だと思っています。

過去の書き散らしはメルマガのバックナンバーで読めます。しかし以前のメルマガシステムが消えてしまっているので、どこかのタイミングで自分の分をこのブログの中に移す予定です。時間を作って作業しなきゃ!

2014年 http://tomocya-tomocya.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
2015年 http://tomocya-tomocya.blogspot.jp/2015/02/lovely-life-project.html
2016年 http://tomocya-tomocya.blogspot.jp/2016/01/lovely-life-project-2016.html