震災後、仙台には行ったのですが、甚大な被害を受けた場所には行ったことはありませんでした。そして今回やっと念願がかないました。
まずは夜に石巻で現地の薬剤師の方と懇親会。
これだけのごちそうだったらいいお値段かと思いきや、かなりリーズナブル! さすが海が近いところは美味しいものが安く食べられますね。
もう2年半もたてば、お店ももとになってきているのですね。
メイン道路あたりはどこの地方にもある風景になっていました。
泊まりはサンプラザホテル。今回は一緒に同行した人に予約をしてもらったのですが、早めに予約をしないと取れないそうです。
聞くところによると、宿泊をしている人の多くは解体やがれき撤去をするための工事関係の人らしいです。
朝食は目の前の石巻グランドホテルの1Fです。食事は普通ですが、なんといくらとめんたいが食べ放題でした!一泊5,500円です。
次は日和公園にある鹿島御子神社に行ってきました。
http://www.kashimamiko.org/annai/index.html
歴史をみると由緒正しい神社で、この土地を開拓した大和民族の長をお祀りしているそうです。
この神社は小高い丘の上にあって、海岸を見渡すことができます。震災当時、2000人の人がここに避難したそうです。
桜の木が生えていますが、震災前はここから桜を見る人が多かったそうですが、今はまだそこまでの余裕はないそうです。
震災前の写真です。中州には建物が建っていました。
ところが今は流されてしまって中州の周辺の護岸も十分ではありません。
白いドームが石ノ森萬画館です。
http://www.man-bow.com/manga/
駅からちょっとあるので歩いては行けないですね。
高いところから眺めて、あらためて津波のすごさがわかります。中州はもちろん飲み込まれ、遠くに見える山のほうまで一気に海水が駆け上がっていったそうです。
その時の話は、ここで出会ったおじさんに聞きました。
自分のすぐ後ろの人は津波にのみこまれたそうです。
笑顔で話をしてくれましたが、本当に九死に一生を得たといった様子でした。
震災後も非常に治安の悪い状況があったり、食料不足や人が目の前で亡くなっていく様子などリアルにお話をしてくださいました。
いろいろ話をしていくうちに、この方は立教大の先輩ということがわかりました。不思議ですね。
次に行ったのは「がんばろう石巻」の看板です。
http://gannbarouishinomaki.jimdo.com/
位置的に先ほどの神社の下の海に近いところになります。
青いポールの先まで津波が来ました。
そんなところにどこからか流れ着いたひまわりが咲いたそうです。 植物の力って本当に強いです。
この看板の前でお店を開いている方がいらっしゃいました。
この方は石巻市行政委員の東山弘毅さんです。震災後の様子や今後の復興計画などをお話ししてくださっています。
私たちは弾丸ツアーだったのでお話を聞く時間はなかったのですが、くじらの缶詰をかって帰りました。
次に行ったのは石巻市民病院の解体地。
ここの前には薬剤師会の薬局があったそうです。
もう目の前は海です。
コンクリートも割れていますし、ごみもそのままです。
薬局の跡地には、ツムラの漢方や何かの薬が入った瓶などが転がっていました。
東京で新しいビルを立て直すときあっという間に作業されて、すぐにすっかりがれきはなくなるのですが、まだがれきは残っています。
確かにものすごい量とはいいますが、東京も区画整理などをするときはすぐに風景が変わってしまいます。
こっちらでは本当に時間がかかっているのだなと改めて思います。
いまだに流されて廃車になった車もそのままあります。
お話をきくと大分片付けがすすんではいるそうです。
しかし、片づけたあとの土地の清算についてはまだすすんでいないそうです。
この辺りは人が住んではいけないことになっているのですが、もとそこに住んでいた人の土地の買い上げ価格など簡単にYESと言えない金額です。
年金暮らしのお年寄りがたくさんで、今後の生活に対して不安をかかえて暮らしているのが現状だと先ほどのおじさんが教えてくれました。
この次は女川町にいきました。。。つづく
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