医療介護の自己決定についての2回目です。
今回も1回目と2回目では出てくる意見が違っています。それがまた面白いんですけどね。
やはり「参加」とか「自己決定」は、多くの人が様々なことを頭に浮かべる言葉だと改めておもいました。
特に医療の分野における参加はいろんな意味があるし、多くの人は自己決定も「決定」するということに意識的ではないのではないかとぼんやり考えていました。
こういうことに気づくのは総論的に話をしているからこそ、それぞれの考えが理解できていくのかもしれません。
医療の参加をすすめていくためには「市民が賢くなる」ことと「市民の自己決定を支援する仕組み」が必要だと考えていて、どちらかだけで参加ができようにはならないとおもいます。
比較的ここまで内容は前回までで整理されてきたのですが、「自己決定」については十分に提示されていないなかで議論をしたのでここが議論の拡散ポイントになってしまいました。
「どんなときのどのようなこと」なのかもう少し先にわかりやすく説明しておいたほうがよかったかもしれません.
また自己決定支援とパターナリズムについても考えておく必要がありそうです。それと自己決定において不健康になることの自由についても考えないといけないですね。
議論が拡散したかもしれないですが、私は逆にそれぞれの食い違いがとても興味ぶかかったです。
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