このイベントはみのりカフェの企画で、お坊さんと話そうというものです。
主催のげんちゃんとは、ワークショップで知り合ったお友達です。上行寺の副住職で遠山玄秀さんといいます。
宗教家の立場から終末期(現在厚労省は「人生の最終段階」と呼んでいます)〜グリーフケアの活動をしている方です。「お坊さん=お葬式」がなんとなくの不文律のなかで、お寺の外へ活動を広げています。
今回のテーマは「宗教とは」でした。
私は一つの宗教に入って・・・ということはしていません。
私の実家は祖父がキリスト教の伝道師であったことから、なんとなくキリスト教という立場ですが、イエズスキリストが絶対とは思っていません。
聖書のお話は好きなのですが、説教が好きじゃないんですよね、、、多分私の価値観にあわないんです。それは過去に会った牧師さんとの相性かもしれません。
一番近くで思い出すのが、昨年の納骨堂の式典の説教です。
自分の年齢(高齢)から健康や足腰が弱った話をされ、ドン引きしました。
確かに説教は神の話をわかりやすく伝えるため人生からの学びを伝えるというのはわかるのですが、そのときの話があまりにもすがる色合いが強いんです。
宗教にすがって生きたい人はそれでもいいです。
でもすがっていても、なにも行動を起こさなければなにも変わりません。
神に祈ることで何かが変わるのは、それまでにやるべきことをしてはじめて神に祈るときです。祈りとはそれまで背負いこんだ自分の執着を一旦脇に置くことなんです。
自分自身がどう生きたいの?どうありたいの?がなければいくら生きる知恵が宗教といえど、それを実践しないままでよく生きることはできないと私は考えます。
自分との対話を繰り返すためのツールとしての「宗教」というのはアリだと思っています。
昔の人は学ぶという機会がなく、お寺は学校であり、病院であり、役所だったことから考えるとそこでの教えはそのとき必要なものだったと思います。
現代のお寺はどこにいくのでしょうね。
そんなことをイベントとは関係なく思いました。
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