2016年10月31日月曜日

能登〜金沢の旅




能登の七尾市に行って来ました。なぜ能登かというと、私の高校のバスケット部の友人がそこにいるからです。彼女とは数年前の学年全体の同窓会を兼ねた新年会で再会し、その時に能登に家族で移住し農家をしていると聞きました。それ以来、彼女の作ったお米などを分けてもらっていました。FBで繋がっているとはいえ、いろんな話もしたい。そんな時に稲刈りシーズンということでなんとか都合をつけて会いに行きました。




私が行った時はほぼ終わっており、稲刈り体験用に少しとってある状態でした。聞いたら9月くらいから徐々に初めていたそうです。私は翌日が雨の予報だからということで、夕方から稲刈りをしました。少しの時間でしたが楽しかったです。



ほぼ初めてカマを使い、稲を束ねることをしました。カマの使い方も難しいけど、稲を掴むのコツが要ります。それでもちょっとずつ上手くなりました。
今は機械で稲刈りをしていると思いますが、それでも稲を束ねたり、干したりするのは重労働です。農家の皆さん、本当に尊敬します。いつもありがとうございます。

短い時間でしたが、とてもいい経験をさせてもらいました。



今回は2泊3日の旅でした。どこに泊まったかというと、西岸駅の近くのゲストハウスです。ここは友人の友人が経営しているところです。
この西岸駅はドラマ「妹よ」のロケ地にも使われたり、アニメ「花咲くいろは」の舞台にもなっている駅です。

駅のホームから見た風景です。絵になる風景ですよね。



これは朝の風景です。この辺りは電灯がほとんどなく、行った日の晩は本当に真っ暗でした。朝起きて、「あ、こんな風景だったんだ」って思いました。それと同時に「都会っていつも明るいよね。。。」なんていうことも感じました。

二日目は能登の輪島の観光を兼ねて、「みんなの保健室わじま」にお邪魔させていただきました。



あいにく、中村悦子さんはお留守だったのですが、スタッフの方に対応していただきました。ショッピングセンターファミィの一角にあり、中学校のバスの待合所があったりと地域との繋がりを大事にしています。ふらっとお年寄りから子供まで寄れる場所なんだと思いました。

みんなの保健室わじま




輪島といえば、朝市なんですが、朝市の時間に間に合わなかったので永井豪記念館に行って来ました。とりあえず行っておかないといけないな、という半分義務感のようなものです。でも子供の頃によく見たアニメですので、とても懐かしかったです。
それにしても、昔のアニメはおおらかだったよね。。。



永井豪記念館




あとは千枚田も行って来ましたが、稲刈りは全部終わっていました。


そして能登先端までドライブして、帰って来ました。





前日の夜から一日、友人といろんな話をしました。
本当に長い長い期間あっていなかったから、どんな人生を歩んで来たのか全然知りませんでした。不思議なのはそれぞれ違った経験や苦労をしていてそして今がある。そんな二人がこれからやろうとしていることがとても近いところでした。私は医療や健康という切り口だし、彼女は教育。どちらも深く考えること、対話や場の大切さを通して感じて行動するということが共通していると思いました。そんな二人だからこそ、まだ出会ったのかもしれないと思いました。

また彼女に会いにいくと思います。

そして最終日は金沢に移動です。金沢は「石川県がん安心生活サポートハウス はなうめ」が目的地です。ここは以前、東京で木村さんにお会いして、いつか行きたいと思っていたところです。


石川県済生会金沢病院との連携があり、木村美代さんははなうめに常駐の看護師さんです。とてもハートフルな方で、がん患者さんの気持ちを大きな気持ちで受け止めてくださる方です。場所も社会福祉会館に入っており、アクセスも良く、窓からの景色も兼六園の木々が良く見えて、辛い気持ちの時も外を眺めて和むことができます。


この日のイベントにも参加させていただき、改めていろんな気づきをいただきました。




石川県がん安心生活サポートハウス はなうめ




金沢は色々と見る場所があるのですが、時間があまりなかったということと、さすがの私も疲れてあまり動く気力がありませんでした。なので、そんな私に木村さんがオススメしてくれたのが鈴木大拙館でした。特に何かある訳ではないのですが、シーンと静かな場所でぼーっとするにはとても良い場所でした。私がそこで得たものは静寂の中の力強さです。自然に触れてきたこの数日の旅だからかもしれません。また次行ったら違うかもしれないですね。

鈴木大拙館
http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/






















本当にみなさんありがとうございました。またお話を聞かせていただきに行きたいと思います。





2016年10月25日火曜日

地域医療を守り・育てる住民活動全国シンポジウム


さる10月15日、16日にありました、地域社会振興財団の全国シンポジウムに参加して来ました。

このシンポジウムは今回で8回目です。参加されているのは地域活動をされている住民、議員、行政、医療者と様々です。1回目から全て参加している人もいれば、初回参加の方もいます。全国各地からこのために東京に集まって来ています。参加者は総勢約80名とのことです。

私は今年で2回目です。昨年とはまた違った気分で参加させていただきました。
昨年を振り返ってみると、その時、地域ってなんだろうって思っていました。地域の問題を自分ごととして活動をすることに対して色々と自分なりに理解をしようとしていたんですよね。自分ごととして活動すると言うのは主体的になるということなんですよね。誰かがやってくれると思うのではなく、今の自分にできること、そして自分以外の誰かに対して興味をもち声をかける。それは大きなことでなくてもいい。それが自分の感覚としてしっかり腑に落ちてきているように感じています。

昨年の今頃は本当に迷ってばかりでした。全体を見るために何をすればいいのだろう。問題は見えるのだがどこから手をつけていけばいいのだろうとずっと考えていました。そして自分はどこで何をすべきなのかも考えていました。今年はちょっと力を抜いて自分のやりたいことをしてもいいんだと思えるようになって来ました。だんだん自由になれているように思います。

みんなの活動の発表やワークの時のお話を聞いてそんなことを思っていました。

2016年10月22日土曜日

「医療者と製薬企業の対等な付き合い方」〜総合診療医と元MRがホンネで語る製薬企業のプロモーションの未来〜




忙しいという言い訳をして自分を甘やかしているのかもしれません。でも本当にブログの記事にするようなお仕事がいっぱいで人はそれを充実しているというのかもしれません。
またキャパオーバー気味。。。

10月14日に「医療者と製薬企業の対等な付き合い方」〜総合診療医と元MRがホンネで語る製薬企業のプロモーションの未来〜というイベントを実施しました。

参加者は医師、薬剤師、製薬企業社員、メディアなどの方などで22名に集まっていただきました。

イベントは単純に講演をきくだけではなく、参加者は現状について一緒に考えるワークショップを行いました。
お話をいただいたのは、南郷さんと水さんです。


東京北医療センター 南郷栄秀先生




実務薬学研究所 水八寿裕先生



今回の企画では、医療者から見た製薬企業と製薬企業から見た医療者。どっちもなんかおかしくない?ということをワークショップという開かれた場所で議論しようというチャレンジングな試みでした。誰もやっていないことを初めてしたというのは意義のあることだと思っています。

もちろん、今回の一回ですぐに関係が変わるとは思っていません。この場にいた人が「このままの関係は変だよね」が共有され「医療情報」が「プロモーション」であること、とはいうものの「プロモーション」であっても「医療情報」であることには変わりなくそこにバイアスが存在してることを理解する必要があります。そのバイアスは製薬企業にもあるし、医療者にもある。それをまず認識することから始めるのが大事です。

そのバイアスを減らすためにそれぞれが問題だと思う行動をなくしていかなくてはいけないと思います。もう学会のランチョンや派手なブースはいらないのではないでしょうか。製薬企業も正々堂々と学会で学術発表をすればいいと思うし、企業活動が本来社会貢献を目指すものなのだからそうなるような活動を純粋にすればいいと思います。自社製品のみのプロモーションは意味を持たないと思います。

今回参加いただいた方にはアンケートにご協力していただきました。この内容をどこかで発表できたらいいなと思っています。








2016年10月11日火曜日

相模原市立青野原診療所見学


相模原市立青野原診療所に行って来ました。きっかけは市民の医療参加を創る会荒川の下町不健康学会でお世話になりました、菅野さんの現在の職場を見に行ってみたいという単純な思いつきです。

東京から車で約1時間30分ぐらいのところなのですが、菅野さんからは「何もない山の中だよ」と聞いていたので、一体どんなところなんだろう、、、興味を持ちました。

相模原市といえば、相模湖ピクニックランドというイメージしかなかったです。以前、一度行ったことがあるくらいしかなく、大抵通り過ぎて、富士五湖とか御殿場に行くことが多かったので、土地のイメージがすっぽり抜けていました。

行きは中央道で、ナビに言われるがまま相模湖東ICから下りてそこからは地道で向かいました。その時に、「この辺はコンビニがない、、、」と思いました。確かに山の中です。
そしてさらに行き住宅が少しづつ増えてくると、コンビニの数も増えてきました。

だんだん診療所に近づくと学校などもでてきて、この辺の中では人が多い場所なんだなって思いました。

そして辿り着いたところがここです。




お昼休みの時間にお邪魔させていただきました。診療所自体は普通の診療所です。
標榜は内科、小児科、外科となっていますが、医師は菅野さんだけです。

経営母体はもともと県立だったそうですが、現在は市に移行して相模原市立となっているそうです。県立時代から指定管理者が相模原赤十字病院だそうです。



近くに薬局がないということで院内調剤をされているとそうです。診察室は一つです。




少し診察室でお話をさせていただいてから、お昼へ行くことに、、、
診察室で話をするとMR時代を思い出します。それを言ったら受付で名刺を渡すのも久々でなんだかドキドキ感でした。

今回は初期研修の先生がいらっしゃったので、彼女も一緒でした。

お昼は車ですぐの定食屋さんへ行きました。研修医の先生の頼んだのが肉野菜炒め定食です。すごいボリューム!!(私は秋刀魚定食です)



とても小さくて可愛らしい女性なのにもりもり食べていました。やはり医師は体力勝負なんだと改めて思ってしまいました。

このお店に行ったら、菅野さんの患者さんが明らかに菅野さんLOVE❤️状態。あーだ、こーだ言いながら話しかけてきます。お店の人もとても気さくに菅野さんとお話をされていました。まだ赴任して半年なのに、人に溶け込む力はさすがですね。相談できるお医者さんはこういう能力が必要ですね。

私が訪問した数日前に健康教室を診療所でされていたそうですが、きっと地域の中で何かを企画する日も近いのではないでしょうか。

その時はまた見に行ってみたいです。ありがとうございました!




2016年10月4日火曜日

お寺と地域包括ケアシステム



医桜主催の第6回しっかり地域包括ケアを勉強する会に参加してきました。

今回のテーマはお寺と地域包括ケアです。
死生観とか宗教の話になるとお世話になってる遠山玄秀さんがゲストです。

今回なぜお寺が地域包括ケアの勉強会に取り上げられたかと言うと、お寺には檀家制度があり、「地域の方のと結びつきなどを考えてもいいよね」ということで企画がされました。

お話を聞いて一番驚いたのが、お寺の数がコンビニよりも多いということです。なのに印象にないというのはどういうことなんでしょう。昔は檀家との関係もお葬式だけではなく、その前から関係があったはずですが、新興住宅地ではそういうこともあまりなくなっているそうです。お葬式で葬儀社からの紹介でお葬式の場で初めましてなんてこともよくあることです。

ここでも地域のとのつながりが薄くなっているのですね。改めて人との付き合いが希薄なライフスタイルが浸透していると感じました。

遠山さんの活動は臨床宗教師として緩和ケアやグリーフケアに関わっていたり、みのりカフェでBo-Zuカフェを開いていて宗教家として市民との対話の場を作っています。遠山さん以外の方でもお寺で対話の場を開いている方もいます。しかしこのようなお坊さんは非常に稀で多くの場合は内向きです。(あれ?どこかで聞いたフレーズ)

この多死時代に死に向合うことを抜きに話をすることはできません。地域包括ケアの視点でも「どこで死ぬか」という場所の話と「いかに死ぬか」という話の中でスピリチュアルケアの側面から患者を支えることは大事なことだと思います。もちろん信教の自由はありますが地域の一員という視点で人に関わることができる存在なのではと思っています。そう考えた時に、コンビニより多い数のお寺の存在は地域の貴重な資源として何かできるのではないでしょうか。しかし内向きの状況からすると多分お坊さん業界に何か起爆剤が必要です。ここは遠山さんとその仲間たちに頑張って欲しいところですね。

今後の活動にも注目していきたいと思います。

次回のしっかり地域包括ケアを勉強する会は11月15日です。テーマは、在宅医療です。



2016年10月2日日曜日

どうすれば自分の望む「死」を選べるのか?


三鷹の栄養と嚥下を考える会に参加してきました。ここの仲間は本当に暖かく、私が自由でいられる場です。くつろぎすぎて、一人でお菓子をぽりぽり食べてました。。。

テーマは死生観でした。
三鷹の栄養と嚥下を考える会は人の「死」というものから目を背けることはできず、その「死」について対話をしようということでワークを行いました。

本をそのまま読むのではなく、キーワードを本から拾いながらみんなで対話をしていきます。そこから出てくるみんなの今感じているものがこの白い模造紙の上に広がるというものです。今回のブログ記事タイトルは、時間切れだったので後からこの問いを自分で深めようという宿題をいただいたのでそれを書こうと思います。

私が対話の中で感じたことは、自分の「死」と家族の「死」というもの、「愛」と「喪失」というものが自分の中に湧き上がってきました。そしてそれを支える今の医療についても考えてしまいました。

「死」とは肉体が滅び朽ちていく始まりの時です。
その前と後、そこには何かがあるのかを人は問うのですが、それには答えはありません。

それと自分の「死」と他人の「死」は自分と他人の生き方が異なるように「死」も異なります。人が生きていると多くの事が起こります。毎日起こる出来事に意味づけをして、自分の人生を歩んでいます。意味づけは自分でできます。それも自分の選択です。

予期される「死」と事故などで突然やってくる「死」。自らが命を終わらせるという選択をしない限り、それはいつやってくるかはわからない。

そういう意味は「死」は選べない。しかし、意味づけするのは人であるので、「生きかた」を選ぶことはできます。よって、自分がどうありたいか、生きていく様を自分で選んでいくことが「死」を選ぶことなのではないかと思います。

この年になると自分の周りの人が少しづつ亡くなっていきます。すべて私にとって意味のあることです。様々な人間模様あり、私もその渦の脇に居たりと何らかの感情の揺れの中で大きな学びを私に与えてくれました。

「死」の瞬間に対しても人は他人との関係性の中にいます。人は最後まで人と関わりづつけるもので、社会生活の中で、ある一定の自由はあるものの完全な自由がない様に、自分の「死」も他人のものなのかもしれません。

しかし、ある程度先の見えた「死」に対しては準備ができると思います。それは人が年老いていく中で、できることをどんどん手放して生きていかなければならない段階とともに、他人に何を期待して何を受け取るのかと言う、何となく他人に期待や依存してた部分を明らかにする過程を経る必要があります。

この準備は自分の「人生」の棚卸であり、人との関わりを見直していき、自分の心と向き合うことができれば自分の望む「死」に近づけるのではないでしょうか。