写真は今回宿泊したかしわや旅館の朝食です。古い趣のある建物ですが、手入れがきちんとされていて楽天トラベルの評価もとても高いところです。夜遅くにチェックインしたので夕食は食べられませんでしたが、朝はしっかりいただきました。とても良い宿でした。
かしわや旅館
さて、前回の続きです。今回は介護される側から見た介護職の問題について書こうと思います。
子供扱いについてはさすがに少し前から言われているので減っているとは思うですが、どうやらそうでもなさそうということをおっしゃっていました。一般的な40代の男性の太ももや頬をペタペタ触りますか?水商売の世界ならあるかもしれませんが、確かに普通の関係ではないですよね。世の中全体の事実に関してはもう少し調べてみますが、私は高齢者の方にそのような接し方をする医療・介護職の方を見かけることがあります。高齢者の方がそれに対して何も発しないのはそれをよしとしているのでなく、自らの衰えを自覚していて、ここで何かを言ったら身の回りのことをしてもらえないと思い我慢をしているのではないかと思いました。年齢がいっても男性は男性だし、女性は女性です。そして自分たちのこれまでの生活の中でおこなれる一般的なスキンシップに対する考え方はそうそう変わるものではありません。
介護とは、メアリ・デイリー(Mary Daly)によると「依存的な存在である成人または子どもの身体的かつ情緒的な要求を、それが担われ、遂行される規範的・経済的・社会的枠組みのもとにおいて、満たすことに関わる行為と関係」とある。
この定義から武久さんの話を考えると、同じ摘便や陰部清浄という行為が介護サービスとい枠組みから提供されているが、その身体的欲求をケア側は行なっているものの、恥ずかしい、情けないことは避けたいといった情緒的な欲求に対して配慮がないと言える。ありがちなのは身体的なケアを行えば介護が成立しているという勘違いである。関係についても、同じ行為と態度をその場でしたとしても心を本当に許しあっている者とそうではない者では全く違った感情が生まれる。状況やそれぞれに対して、ケアをされる側が自分の考えを伝えることができるかというとそうではない。
武久さんは、「認知機能の衰えは人間の自尊心を守るためのゆりかご」ということをおっしゃっていました。本当にそうかもしれません。歳とともにできていたことができなくなる。そこでできないことを受け入れるためには、事柄を忘れる方がずっと楽です。ケアに当たる人がケアをされる方の自尊心というものを理解していない可能性があるのではないかと感じました。同じ行為でも誰がそれをするのかということで感じ方が違うように、そこには関係性というものがあります。武久さんとお話をして改めて気づかされました。
まだまだ続きます。
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