2017年3月28日火曜日

がんの保障研究会「がん治療の正しい情報」


がんの保障勉強会に参加して来ました。民間の保険を売っている方々が中心の勉強会なのですが、がんにまつわる保障を公的・民間の両方の情報をを患者さんに提供するという目的を持った集まりです。私はどっぷり医療側の勉強ばかりしているので、ここでは民間保険や一般の方の考え方などを学ばせてもらっています。

今回は一般社団法人日本がん医療翻訳アソシエイツの野中希さんにお話を聞かせていただきました。この団体は、米国を中心とする癌医療関連の先端情報を、有志の医療翻訳者・監修者の協力のもと、読みやすい日本語に翻訳・編集し、ウェブサイトなどで情報発信している非営利型の一般社団法人です。

一般社団法人日本がん医療翻訳アソシエイツ

野中さんから翻訳事業から見た日本のがん情報について、我が国は患者ががん治療について正しい知識や情報を得難いということのご指摘がありました。

肺がんのインターネットで検索できる情報を日米で比較したところ、日本は信頼できる情報が上位に上がって来ず、明らかに質の違いがあったというものです。


2009年の調査結果ですが、現在でも正しい情報が必ずしも上位に上がって来ない現状からするとあまり大きな違いはないと考えられます。そのためがん治療の情報を患者がインターネット上で得ようとすると英語論文を読まなくてはなりません。

この話を伺って、日本はなぜ正しい情報にたどり着けないのかということを考えてみました。その理由の一つは、我が国の患者がこれまで治療に対して医師任せであったところが大きいのではないでしょうか。そしてそこにあるのが薬機法の広告規制にも関係するのではないかと思います。

医薬品等の広告規制

今でこそ本人へのがんの告知が当たり前となってきていますが、昔はがんと告知されると生きる希望を失う人が多いので知らせないということが普通でした。そのような背景がある中、医薬品の情報が患者に届かないようにという規制がされてきました。

私がMRだった時に病棟訪問が禁止となった理由の一つに病棟で抗がん剤の説明をMRがすると製品名を聞いた患者が自分の使っている薬の名前を見て自分ががんであることを知ってしまうから、というのがありました。私が若い頃は医学的に詳しい本も薬の一覧も一般の書店では全く手に入れることはできませんでした。

それに対してアメリカでは広告規制はなく、製品名をテレビコマーシャルすることも可能です。また患者自身が自分の治療の選択も委ねられている、またはそうせざるを得ない?という違いがあります。そうなると必然的に情報入手についても差が出るのは当然だと考えます。

そうはいっても我が国の告知に対する考えも、インターネットの発展もあり、正しい情報が入手できないというのは患者知る権利と患者の安全という面からこの広告規制を見直す時期にきているのではないかと私は考えます。

奇しくもディオバン問題において薬機法の広告規制が問題になりました。患者の知るべき情報と広告の区別ってどうあるべきなんでしょう。プロモーションと医薬品の正しい情報。アカデミックな情報はどう扱うべきなのか、そして研究と患者の権利。
考えなくてはいけないことがたくさんですね。

他にも研究開発に関する問題も話題に上がり、いろいろと勉強になりました。

2017年3月20日月曜日

ディオバン問題の判決に思う

3月16日ディオバン問題の一審判決が出ました。ディオバンを巡る医師主導臨床研究におけるデータの改ざんが薬機法66条に基づく誇大記述・広告違反としてノバルティスファーマ元社員と両罰規定に置いてノバルティスファーマが起訴された事件です。その判決は会社、社員共に無罪でした。

http://www.qlifepro.com/news/20170317/diovan-problem-first-instance-judgment-both-novartis-and-former-employees-innocent.html

やはりこの事件については今の自分の考えを書いておくべきではないかと思っています。この事件に対する考え方は人それぞれかとは思いますが、私なりの見解はきちんと持っておくべきだと考えています。私の考えが正しいとは全く思っていませんが少し整理するためにもブログに書くことにしました。

私の感想としては起訴の事由に対して有罪としてもおかしくないと考えています。
リンク先の記事より、
「第66条で言及する「虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布」とは、
(1)医薬品の購入意欲を喚起・昂進するもの
(2)特定医薬品の商品名が明らかにされている
(3)一般人が認知できる状態にあるもの
の3要件すべてを満たすものと指摘。
辻川裁判長は今回のKHS論文について、このうち(2)、(3)の要件を満たすものの、査読のある学術誌への論文掲載である以上、白橋被告による故意の改ざんやノバルティス側が論文を販促に利用しようとしていた意図があったとしても、(1)の要件を満たすとは言い難いことから、第66条違反に当たらないとの判断を示した。」

この裁判長の判断が今回の起訴内容が66条の違反であるとはならなかっただけと私は考えています。データの捏造はあったと認めれられていることからすると、裁判ではシロであっても本質的にはクロ。

もう少しいうと、この研究はそもそも医師主導臨床研究です。本来であれば研究の責任は医師側にあります。そうなると研究の責任者に何も責任はないのでしょうか。私はそこに引っ掛かりがあります。現在の法律では企業側には承認審査、再審査の段階でGVPやGPMSPがありますが、医師が自ら行う臨床研究には企業の責任は本来ありません。研究者のデータの捏造に関する規制は今の所なく、法律にないものは裁けません。

この件で私が一番に感じていることは医師主導の研究がいかにずさんかということです。また研究責任者は研究者としてのプライドはないのか?ということも言いたいと思います。研究とは、多くの過去の研究の積み重ねをしてその分野の発展に貢献することだと私は考えています。自分の欲で仕事をするのは二流の研究者と思っています。データの捏造をする研究者は三流以下ではないでしょうか。

ノバルティスファーマ側はもちろん悪いですが、これに関わった全ての研究者もクロです。今後、検察が上告するかどうかは現時点では不明です。まだこのモヤモヤ状態は続くと思われるのでちゃんと行く末を見ていきたいと思います。

ここからは、もう少し自分の感性の言葉で書きたいと思います。少し昔を思い出しながらディオバンを述べます。

エビデンス花ざかり時代の到来(決してEBM時代とはいいません)+日本の新薬に飛びつく風潮がこのディオバン問題のベースにあると思います。

ディオバンが発売されたのは私がまだMRをしていた頃になります。あの頃はエビデンスという言葉が流行り出して、大規模スタディが華やかに外資系の製薬企業のパンフレットに踊っていたことをよく覚えています。真っ赤なパンフレットでとても印象的でした。

当時はノルバスクが高血圧治療ではダントツに使われており、ARB(アンジオテンシンⅡ阻害剤)は価格も高くノルバスクのようなキレのある降圧効果がないという評価でした。ARBの中でもディオバンは比較的降圧効果があるね、という声が聞かれる程度でした。臨床データではありませんでしたが、動物実験等からの薬理作用のメカニズムも納得のいくARBの中ではいい薬だと私は思っていました。

それでも海外では臓器保護といったらACEIなのに、なぜ日本では高いARBを使うのかという疑問を当時も持っていました。製品の戦略的には、降圧効果ではカルシウム拮抗薬にはかなわないので、臓器保護作用を謳ってきたのがACEI(アンジオテンシン変換酵素阻害剤)でした。ARBは似た系統の薬なので臓器保護作用がある程度期待できると思うが、ACEI以上の臓器保護作用についてそれを上回るといったデータを私は知りません。ちゃんと文献を検索してレビューしていませんが、多分ないと思います。これは日本の保険制度と医師の処方選択の問題です。海外のデータを見れば日本だけいい結果が出るなんて、おかしいと思わない方がおかしいです。

私のモヤモヤは、企業も悪いが医師側の責任もきちんと問題だったことを明らかにすることができていないことです。そんなにお金さえ貰えばホイホイ動くのが医師なんでしょうか。動かす製薬企業が悪なんでしょうか。どっちも悪いのに片方だけというのが私の納得のいかないところです。

データの不正は絶対に許すべきものではありません。なぜならば患者の生命に関係することだからです。また研究として考えた時にも日本の研究のレベルの低さを世界に晒す行為であり、法律がないなら自分たちで正しい方に向かう動きがあってしかるべきではないかと思います。

自分のブログなので、好きなことを書かせてもらいました。

2017年3月19日日曜日

災害とトイレ



私の住んでいるマンションの災害協力隊でイベント「災害とトイレ」というテーマで防災訓練を行いました。

今回のイベントのきっかけは、飲食物や救急等については話が色々あるけど、トイレの話はなかなか無いね、という話から企画がスタートしました。



うちのマンションはオール電化のため電気がストップすると水が流せなくなります。地震で排水管が壊れていたら汚物を流したら途中で溢れてしまうことも可能性としてあります。仮設トイレが実際に設置されるまで時間がかかりますし、マンションの高層階の人は電気が止まったら下に降りたら戻ってくるのは大変です。

そうなると必然的に自分の家のことは自分でしないといけないという現実が待っているのです。食べたら出てくるのは当然ですし、トイレが大変だとかということで食べない、飲まないということをしたらそれは逆に体調不良の元になります。

食べ物の準備とともにトイレのことも同時に考えるということは本当に大事なことです。



ダンボールで作れるトイレ

便座が大丈夫な場合

新聞紙やペット用のシーツ、オムツ、生理パッドなどの高分子吸収ポリマーは尿を貯める時にやくにたちます。

こういった知恵を持ち合って震災時は近所の方と助け合いをすることが大事です。

今回はマンションで準備している簡易の組み立てトイレを展示しました。当マンションは23台準備がありますが、戸数が多いのですぐにいっぱいになってしまうということを強調しました。

311から6年経ちましたが、日々の生活の忙しさでどんどん記憶が風化してしまいます。しかし災害は必ずくる。その準備はちゃんとしておかなければならないと改めて思いました。

勝ち(価値)残るMR?


MR−1コンテストのプレセミナーを実施しました。
今回は、実行委員でもあるMonthly ミクス編集長の沼田佳之さんと杏林大学医学部付属病院 薬剤部の若林進先生の2名に講演をお願いしました。


沼田さんから「薬価制度改革とAI導入で製薬企業からMRがいなくなる」では、長期収載品モデルの企業の利益確保が難しくなることからいかにコスト抑えるか、また医療情報のデータベースが整備されることから地域包括ケアが推進されるとこれまでの製品軸の営業戦略では現場のニーズと乖離が出てしまうことを指摘されました。またMRの役割の再定義の必要性もお話されました。


若林先生は「覆面を脱いだDI室長薬剤師から見た”勝ち(価値)残るMR”と”消えるMR”」というタイトルでお話いただきました。若林先生は川越さんの前職でアプローチの編集長をされていた時に覆面DI室長のペンネームでコラムを連載されていました。実際のDI室の業務を示していただき、どんなMRが薬剤師業務にとって価値があるのかということを具体的な事例を持ってお話いただきました。結構な辛口のお話でしたが、それが現場の本音だと感じました。


MRー1コンテストは現場で創意工夫をして頑張っているMRにスポットライトを当てることを目的としています。環境変化に対しての創意工夫を忘れず、MRとしての知識・倫理観・スキルを持った人を紹介していこうとしています。スキルを単純に競わせることが目的ではありません。


8月の本番に向けてプレセミナーを2回行いましたが、前回は人工知能がどのように活用されていくのかということを技術面から、今回は医療環境の変化と現場ということからMR活動を考えました。来月には審査委員会を実施し、そろそろ本戦の告知がスタートします。多くの方にエントリーしてほしいと思っています。

また当日午前中に実施するセミナーの企画も考えています。楽しみにしていてください。

2017年3月17日金曜日

学生セミナー 「MRのしごと」


就活生向けセミナーでお話をする機会をいただきました。今回はとっても優しいおねーさんです。就活がスタートして2週間くらいとのことで、学生の皆さんもまだ緊張が抜けない様子でした。スーツが着慣れていない姿も初々しいですね。やはり、もう近所のおばちゃんの心境です。

前回はクローズドな会でしたので、好きなことを話しましたが、今回はちゃんと主催者が全体の流れを作っていましたのでそれに沿った内容にしました。
前半は医薬品の開発の歴史を踏まえた医薬品産業論がベースです。後半は地域包括ケアと患者の価値に基づく医療です。そこからMR活動は何を考えるべきかという流れです。

この内容を丁寧に話をしたら一日ずーっと話せるくらいのネタがあるのですが、かなり凝縮して話をしました。

最近、地域包括ケアや臨床倫理のことで動くことが多かったので、久々に医薬品産業の話をするのはとても楽しいです。ワークショップもファシリテーションが多いので、たまには40分くらいのプレゼンも悪くないですね。

学生さんたちも頷きながら聞いてくれたし、後のアンケートでも私の話したキーワードがたくさんあったと伺ったので何らかのことが残せたのかな、と思っています。

本当にありがたいことでした。



2017年3月11日土曜日

しあわせすぎキャバレー@幸手


去る35日ホテルグリーンコア幸手にてしあわせすぎキャバレーに参加してきました。
この企画は幸手の地域丸ごとアミューズメント中のひとつのイベントです。私は三鷹の栄養と嚥下を考える会のメンバーでもありますが、幸手の方々には大変お世話になっており裏方ホステスとして協力させていただきました。



幸手市商工会(地域まるごとアミューズメント)


三鷹の栄養と嚥下を考える会では、以前から「KAIGOスナック」を企画しており、幸手でも元気スタンドぷリズムで実施した実績があります。「KAIGOスナック」は、嚥下食やとろみドリンクを提供しながら大人が楽しめる(お酒や大人の会話ができる)社交場でというコンセプトです。

三鷹の栄養と嚥下を考える会

KAIGOスナック(読売新聞デジタル記事)

今回はぷりズムの小泉さんが、男性が外にでるきっかけとして「キャバレー」という名称にこだわって企画されました。男性は女性と違って新たな場に出ることを苦手とする人が多く、「キャバレー」ということだったら興味をもってきてくれるのではないだろうかという発想です。


今回の出された嚥下食はこちらです。


お寿司のほうは卵とアナゴは普通食ですが、マグロが嚥下食です。ヨーグルトも飲み込みしやすいものです。



のみものの一杯目はとろみドリンクがだされました。三鷹の会に最初から顔をだしているのに嚥下食を食べたことがないという体たらくな私ですが、これでやっと嚥下食デビューを果たしました。最初予想していたよりずっとおいしかったです。見た目が同じというのはいいですね。嚥下が悪くなってきたときにこういうものがあるということを知っていただけるだけで、食の楽しみが増えると思います。


当日のプログラムはこちらです。嚥下体操やジャズなど盛りだくさんでした。

正直、裏方は大変でした。普段から顔をあわせている人と何度も同じようなことをしているのだったらいいのですが、初対面の方同士が結構おおく、更にTVの撮影も2クルー入っていました。そうはいってもなんとかなるもので、皆さんのチームワークでなんとか乗り切ることが出来ました。
みんないい笑顔でした。

暮らしの講演会 みんなで支える「こころの育ち」~不登校もひきこもりも


順番が前後しましたが、2月26日に地域医療を育てる会で、東金市の社会福祉協議会と共催で暮らしの講演会がありました。

スピーカーは久里浜医療センターの精神科医師 杉原正子さんです。

今回はテーマは、子供の心の問題でした。
個人的には現代は引きこもっても生活できてしまうところに一つの問題があると思っています。親がいれば食べるものにも困らないし、外との連絡も携帯電話、インターネットがあれば事足りてしまう。

人間と人間がいれば、様々なことが起こります。いいことも悪いこともあります。時には引きこもりたくなることもあるけれど、ずっとそれでは良くありません。しかし心の問題を抱えてしまっていると非常に周りも人ですので大変です。

子供の場合、病気があると小児科に行きますが体全体は見られても心の専門はいません。精神科に行くと病気は見られても小児の専門はいません。子供の心を見るというのは医療では難しいのです。

必ずしも外に引っ張り出すことがいいことかはわかりませんが、少なくとも身体の発達のための運動量が引きこもったままでは良くありません。外に行ってもいいんだ、怖くないんだという状態を作ることはすべきことだと思います。また引っ込んでしまわないためにも周りが暖かい目で見ることの大切さを感じました。


ロールプレイではコンビニで引きこもった子に会った時どうするかなどの場面での声の掛け方を紙に書いてあげてもらい意見交換をしました。いろんな意見が出て参考になりました。私はその子の問題はその子にしか回答がなく、関係性の中で余計なことは詮索しない、本人が話したくなった時に聞くということが大事なことではないかと思っています。



2017年3月10日金曜日

臨床倫理シンポジウム「臨床倫理の明日を拓く-本人・家族とともに考える意思決定」



臨床倫理は医療施設や介護施設、在宅医療の臨床の場において、ひとりひとりの患者さんの選択に関する問題を検討する実践的な学問領域です。このシンポジウムは臨床倫理の理論化等にご尽力された清水哲郎先生が東京大学を退官される最終講義でもありました。

今回のシンポジウムで私が感じたことは、これからもっと患者の意思決定支援という言葉が臨床で広がっていくのだろうなという感覚です。参加者の多さやFBでの参加者のコメントなどを読むと少なくとも参加した方々に響くものがあったと思います。

患者の意思(自律性)を尊重するということが最も大切なことなのですが、これまではそういった概念すら臨床の場ではあまり見られませんでした。それは医療の限界が今よりずっと手前にあったからです。目の前にある命を助けること、それが医療者の使命でした。ところが医療技術の発展によって本人が意図しないところで延命が行われたりすることもありました。しかし現在の人生の最終段階の問題は高齢化の中でこれまでとは違った様相で起こっています。問題も複雑なことや倫理的ジレンマなどもよくあります。そこで医療者が倫理的に物事を考えるということができるようになるということはいいことだと思います。もちろん考え方が浸透するだけでは十分ではありません。

今回のシンポジウムの発表はまだまだ医療全体からしたら先端を走る話だと思いますが、今後の医療や介護の業界の動きがとても気になります。

2017年3月9日木曜日

ペイシェントサロン根津「あなたが望むお薬の話、薬剤師はしてくれてますか?」



またまたブログ更新が滞っております。文章を書く時間がちゃんと取れていません。本も読みたいし、行きたいところもいくつかちょうど重なっていました。
さて、久々のペイシェントサロン根津でした。今回のテーマは「あなたが望むお薬の話、薬剤師はしてくれてますか?」でした。


 残念ながらこれまで調剤薬局ではあまり恩恵をうけたことはありません。多くの場合、出された薬の用法用量を伝えられるだけでそれ以上の会話はしないからです。また、継続的に医療機関に通うこともないのでなかなか深い話までできていません。今回参加した方も年齢の高い方はいらっしゃらなかったので、似たような経験がほとんどだと思います。
 みんなで「患者と薬剤師とのよりよい対話のためにできること」というテーマで話し合いをしました。ここでみえてきたことは、患者が物わかりのよい人になろうとして聞くべきことが聞けていないし、薬剤師は薬を出すことに精いっぱいで本来聞くべきことが聞けていないということです。


 これはどちらがよい、悪いというよりは薬局のデザインがよくありません。つまりユーザーである患者がよりよい服薬をするためには?という発想が、処方箋を出して薬を受け取るまでのプロセスの中で工夫が足りていないということになります。


 写真はワークの時にでてきた意見です。
向かって右側にそれぞれの現状、左側にこうしたらよくなるというアイディアをあげてあります。渡される袋をかえてほしいとかって面白いですね。服薬後のフォローなどもやれそうなことは沢山です。しかし実現しないのはまた別の問題を抱えているのだろうと思っています。