2016年3月15日火曜日

基礎や理論って大事


教育のテーマの三つ目です。理論を勉強して思ったことを書きます。写真は私がよく行っている某喫茶店のスイーツです。本文となんら関係はありません。

私は教育の仕事がなんやかんやで7年と、もっとも長くやっていたわけです。その間に独学で教育学を学びました。それは経験や勘頼りの教育は見ていて本当に痛いと思っていたからです。

「昔は●●だったので、こうだ!」「いいんだ、俺のいうことを聞け!」

大学時代までは結構こんな輩はごろごろしていましたが、学生(体育学部)時代に理論背景のない指導がいかに怪我をさせてしまうかということを学んでいた私はできるだけ効果的な科学的指導をするべきという考えが染み付いていました。

「なんでできないんだ」 

できない人になぜって言われてもできるわけないですよね。わかっていたら違うと思います。

経験と勘は非常に大事なことです。しかしその経験と勘は人に伝達するのは非常に難しいのです。できない人をできるようにするためには伝え方も大事です。私が理論を学ぶ理由はそこにあります。

私ができたこととが他の人にはできないことって多くあります。またその逆もあります。できるようになる法則は必ずあるはずなのですが、多くの場合、なぜ自分がその行動や動作ができるようになったのか分解して考えることはないと思います。それをあえて分解することによって、何ができていて何ができていないかを確認しできるようにするのがトレーニングです。もう少し言うと、経験で培われた勘を紐解く作業をすることによって指導、コーチをするのが経験と勘に頼らない指導です。運動指導もセールスのトレーニングも基本は同じです。

ありがたいことに、教育に関してはどのあたりの勉強をすればいいのかを教えてもらったのは、MRセンターのトレーナー’sトレーニングです。そこで教育理論の基礎を学びました。はじめて教育工学的理論に触れました。いわゆるインストラクショナルデザインです。

そこで気づいたのが、インストラクショナルデザインはマーケティングの理論と似ていることです。そうなると俄然理解のスピードは上がります。研修の設計時に使うADDIEモデルも経営やマネジメントのPDCAサイクルだし、他の理論もマーケティングの要素の非常によく似ています。それもそのはずです。ベースがともに心理学とデザインだからです。大学の時は体育心理、教育心理学の勉強をしました。それがわかると自分の理解がとても早かったことを覚えています。ここでも基礎があると応用は比較的簡単だということもわかりました。

それと理論背景があると強いです。きちんとやることも崩すことも両方できます。
それはどこを崩しているのかをわかるからです。それを後から分析することも可能です。

自分がどのくらいできているかはさておき、また教育の仕事を離れていてもそんな視点で私は見ています。


2016年3月14日月曜日

無事に発表終了しました


3月12日にリスクマネジメント協会の年次大会がありました。研究発表会で、「ソーシャルキャピタルと公的医療介護保険サービス」をプレゼンさせていただきました。
今回は私ともう一人(ソラスト廣瀬鉄矢さん)との共同研究です。今回の発表内容は、廣瀬さんの行った、神奈川県のある地区の居宅介護支援事業者に行った調査をソーシャルキャピタルの視点で考察するものです。自分の研究というよりは、廣瀬さんの研究のお手伝い的な位置づけです。

高齢者福祉サービス等の利用率など利用者の属性などから分析したものです。
人とのつながりがある人はなんらかのサービス(公的サービス、インフォーマルサービス)を使うようです。情報を入手しやすいということなのでしょうか、ここについては立証までできませんでした。またある特定地域の調査ということも理解しておかなければなりません。

それでもソーシャルキャピタルという概念を聞いている人に伝えることができたことは意義があるかなと思っています。私の目的はただそれだったので、まずは無事自分の言いたいことは言い切ったと思っています。質疑応答の時は幸手の事例まであげちゃいました!みんなメモしているのをみて、しめしめとほくそ笑んでいました。

来年度はまだどうするか決めていません。というのはリスクマネジメント協会の研究会は個人発表は無いのです。どうしてもグループ発表になります。現在、考え中です。

2016年3月10日木曜日

研修依頼を思い出してみた


研修部にいた時に思っていたことを書きます。
前職の会社は研修体系がしっかりしており、導入研修、継続研修はそれなりに評価が高かったと思います。(もちろんばらつきもありますが)ビジネスをスタートさせるときも教育をセットで売り込むことも多かったくらいです。そうすると結構無茶なオーダーが多いんですよね。

「1ヶ月で即戦力に!してほしい」
あの〜、受講者のレベルを考えてください、、、それと即戦力の定義って何ですか?
と、思うことしばしば。。。
これは間違いなく研修部にいる方は誰しも同じことを思っていると思います。

研修でできることなんて、たかがしれています。なのに期待して自分の思った通りじゃないと研修が悪いとすぐ言います。

不思議ですよね。魔法か何かのように思っているのかな?といつも思っていました。

教育の目的は行動変容です。研修部は行動変容をさせるスキルをもつ専門家の集まりの部署だと私は考えています。必要知識のインプットは講師が一方的に話をする、もしくはテキストを渡せばいいので簡単なことですがそれだけでは人の行動は変わりません。それを手を変え、品を変えでトレーニングしていくのが研修部の仕事です。

多くの方は研修とか教育に一体何を期待しているんでしょうね?
必要知識のインプットだけならいくらでもできます。しかし受講者がインプットされた情報全てを記憶できるはずもなく、ましてやアウトプットして応用させるまでなんてそんなに簡単なことではありません。

こちらも角が立たないように依頼者に「具体的には何をどのようにしたいと考えていますか?」とか、「即戦力というのは、何がどのレベルになっていれば即戦力があると言っていいのですか?」と丁寧に聞きます。そうするとほとんどの人は答えられません。言語化できていないだけなら、私もきちんと確認の質問をしていくので、大変ではありますが、研修を考えるることはできます。一番問題なのは、「なんでもいいからできるようにしてくれればそれでいいんだよ。君らプロなんだろ。」という人です。完全に思考停止状態です。

こんな経験から、なにか問題があるとすぐ研修とか教育を持ち出してくる人たちはある意味丸投げなんだと私は思っています。ある程度、具体策を持っている人は何をどのようにをきちんと論理的に話をすることができることがわかっています。

それと「教育」はどこか特別な人がするものではないと思っています。誰だってできと私は思っています。教育研修の仕事をしておきながら何を言い出すのかと思われるかもしれませんが、教育の本質は「学ぶ力を育むこと」です。学びは本人が学びたいという気持ちがあれば、いつでもどこでも誰とでもできるものです。つまり誰でも「教育」はできるのです。自分の気づきや経験を伝えることも教育の一環です。学びたい気持ちにさせるのも別に教育のプロではなくても誰でもできますよね。

じゃあ、「研修部いらないね」と言われたら「方法論のプロなのでご相談にのりますよ」と少なくとも私は答えます。

教育や研修が必要だと思ったら、その問題について5W1Hに落として本当に教育研修が打ち手ですか?ということを再考することをお勧めします。

自分の思い

なんとなく今回は言語化したくなったものを書いています。
テーマは「教育」です。

私と「教育」の仕事との出会いは大学のアルバイトで、スイミングのインストラクターをしたのが一番初めです。他にも体操の先生とか、家庭教師もしました。その後も仕事としての「教育」はありませんが、何かと教えることは結構あったように思います。いわゆる「研修」ということを通して「教育」をする仕事は前職の最後の仕事です。そこで学んだこと、気づいたこと、感じたことを幾つかに分けながら書いていこうと思っています。

私が考える「教育」とは、人の成長を慈しむことだと思っています。
仕事をしていて何が楽しかったのか、何がやりがいを感じていたのかと振り返ってみると、できなかったことができるようになった瞬間のあの表情がなんとも言えず嬉しいと感じる自分がいました。

部下や後輩を「教育」する人も人の成長を楽しみにしていると思いますが研修部となると、必ずいつか研修は終わって巣立っていきます。そして時々仕事で会ったりする関係でだんだん自分のところから巣立っていく人たち見ながら心から「頑張って!」って思って仕事をしていました。「久しぶりです。いま現場ではこんなことをしています」という話を聞くのがとても好きでした。もちろん、いまも大好きです。これはかなり前から気付いていた自分の感情です。

つまり私は考える「教育」とは何かを教えることではありません。漢字も「教える」ことと「育む」こと両方使っています。つまり教えてそれができるようになることがゴールではないのです。自分が教えた以上になることを望むこと、自分を超えていってもらうこと。これが「教育」です。

多分私はずっとこの私が考えている「教育」を仕事にしていくと思います。そして自分を超えてくれる人が世の中にたくさん出てほしいと心から願っています。



2016年3月9日水曜日

第4回市民の医療参加を創る会「あなたは医療にいくら払っていますか?」


3月8日恒例のみのりカフェで第4回市民の医療参加を創る会を実施しました。

今回は地域医療を育てる会で一緒の野村さんに保険料の負担について、彼が調べたデータをもとに保険者ごとの違いを話していただき、その後に三原さんにその背景を歴史や仕組みを紐解き、その後、みんなで議論をしました。

制度の複雑さに初めは質問もでない状態でした。グループで話すとすこしずつ話がではじめました。理解できなかったり、考えてもみなかったことを提示されてどうすればいいのかわからない状態だったのではないかと私は見ていました。
大体、想定内の反応です。

今回の内容は、保険料の負担額が、職業・居住地・年齢によって異なり、算出方法も違って均等な負担をしている状態ではありません。しかし受ける医療サービスは全国どこに行っても同じ処置なら同じ金額です。この不公平感はみんなはどう思うか?という問いです。

増大する医療費を保険制度を維持していきつつ費用負担をどのように考えるのかというのは初めて聞いた人にとっては複雑怪奇な話です。あっちこっちから拠出金があって、頭の中は間違いなく「??????」 みんなの顔は真剣なんだけど、頭の上に「?」が並んでいたのを見たような気がします。

個人的には、今フリーになったこともあり「なんでこんなに高いの?」というのは実感しています。でも、払わないと保険診療が受けられないと思うと「払うしかないよね」とも思います。

社会保険は社会で助け合いの精神からお金を出し合う仕組みです。自分だけがよければというのはちょっと違うと思うのですが、「払っているんだから使わないと損」という人もいます。困ったものです。

実は私がこの企画を考え始めた時、考えていたことは「連帯」って何?です。
ずーっとこの言葉がぐるぐるしていました。

辞書で調べてみました。

れん‐たい【連帯】 [名](スル) 
1 二つ以上のものが結びついていること。「―感」 
2 二人以上の者が共同である行為または結果に対して責任を負うこと。「―して事に当たる」 


どうやら結びつきと一緒に結果に対して責任をおうということなんですね。いまの保険者はアウトカムに責任をもつ、つながり、連帯になってないよね。なんて思うわけです。 


それと、保険者のせいにして自分(個人)の責任を放棄している国民も悪いよね。その時点で他人事です。無関心って一番良くないことですもの。 医療費の増大は様々な要素があります。今回はどのような負担が公平かでしたが、医療の中身の話も今後していきたいと思っています。





2016年3月6日日曜日

第4回くらしの講演会


地域医療を育てる会と東金市社会福祉協議会との共催でくらしの講演会が行われました。
今回のテーマは「なじみの店が閉店!そのときあなたの健康は・・・?」でした。
フードデザート問題を取り上げた講演会です。基調講演にあの幸手の中野先生にきていただきました。私は講師の駅から会場までの運転手で参加です(笑)

フードデザート(Food deserts)とは生活環境の悪化の中で健康的な食生活の維持が困難となった、都市の一部地域を意味します。単に買い物が不便という問題ではなく、社会的排除問題、社会格差の拡大や社会構造の変化、食育などが介在しています。

まさにタイトルにある馴染みの店が閉店することによりフードデザートはおこります。
人口が減少している地区で、採算がとれないからといってスーパーマーケットが閉店してしまい、これまで冷蔵庫がわりだったのに買い物が大変になる。そんなことが起こっています。

この動画は幸手の事例です。



人の健康は個人因子だけの問題ではなく生活環境等さまざまな因子が相互作用によって影響しあいます。スーパーマーケットの買い物を自分のこととして考えると、季節の食材をみて楽しんだり、そこまでいく間に他の買い物をしたりと結構たのしかったりするんですよね。それがなくなるとなるとそれはそれで生活が変わってしまうというのはよくわかります。

今回はその話を中野先生にしてもらったあと、じぶんの馴染みのスーパーごとにグループにわかれディスカションしました。私は東金の人ではないので、空いてるグループに入りました。そこが閉店してしまったら?ということで話をしたのですが、はじめはなかなかイメージがつかないようで、「車があるから他にいく」などと話していました。しかし車の運転ができなくなったら?「インターネットで注文する」、「コープで買う」などの意見が出てきました。あと「コンビニで買う」というのもありました。

まだまだ先のことだと思っていてもいずれやってくる自分の老いと人口減少による問題は簡単に答えはだせません。

東金にはデマンドタクシーというものがあるそうなんですが、一回400円だそうです。往復で使えば800円。買い物に毎回800円かかるというもの悩ましいです。配達やインターネット、コープの宅配だって大型スーパーよりも割高のはずです。しかし割高のものを使うといっていますが、安い大型スーパーでものを買っていたことで、馴染みのお店を失っていたことには気づいていません。

大量生産、大量消費、コストダウン。。。これまでやってきていた経済活動のツケが回ってきています。これに気づいたらどこかでこれをやめないといけないのです。

またかわりに買い物をしてきてくれる仲間がいないのも気になるところです。昔のおすそ分けもなくなりましたよね。なんでもサービスとなってしまい、経済活動に思いやりも埋め込まれてしまっています。

お金を地域でどうやって回すのかを本気で考えなくてはいけません。経済活性化という言葉を軽く使う方がいますが、本当に必要なところにお金をかけ、それが回る仕組みを考えなくてはなりません。これは右肩上がりの高度経済成長モデルとは全く異なります。

間違いなく車に依存した生活をしている地区は必ずこの問題がでてきます。いまは大丈夫とみんないうけれど、5年後は本当に大丈夫のか、よく考える必要がありますね。

2016年3月5日土曜日

コラムの最終回 卒業

日刊メディカルビジネス情報源で2014年1月29日からスタートしたコラム、「女性がいきいきと輝くために ~Lovely Life Project~」を3月3日で最終回にしました。

約2年間で、64回の連載でした。はじめは毎週、その後月2回、昨年の後半から1回でしたが、よく続きました。はじめたきっかけはメルマガを編集をしているえりちゃんからの依頼でした。今回最終回にするきっかけもえりちゃんの卒業です。コラムを書く機会をくれたえりちゃんに感謝です。本当にありがとう!

何を書いていたかというと、ブログの延長線みたいな内容です。タイトルは女性をいれていますが、私がそのときに感じたことを書いていました。私は女性だし、自分がいきいきできることってなんだろうということにフォーカスして書いています。

久々に読んでみると、面白いもんです。それに結構ギリギリに書き上げていたので誤字脱字もあるのがちょっと恥ずかしい。酔っ払って原稿を書いていたときもありました。それでも原稿は一度も落としてないですよ。

あらためて、いま一区切りという感じがしています。
このコラムをはじめたときは、いま以上にいろいろと迷いながらやっていた時期です。変わってきたかなと思う部分と変わらないな、と思う部分もありますね。このコラムによって自分の考えを言語化することができたんですね。

ちょうどいい時期だと感じています。卒業式シーズンだし、手放すものを決めたばかりだし。でも、ちょっと寂しい。やっぱり卒業ですね。

新しい何かのためには何かを手放す時期だと思っています。

過去の書き散らしはメルマガのバックナンバーで読めます。しかし以前のメルマガシステムが消えてしまっているので、どこかのタイミングで自分の分をこのブログの中に移す予定です。時間を作って作業しなきゃ!

2014年 http://tomocya-tomocya.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
2015年 http://tomocya-tomocya.blogspot.jp/2015/02/lovely-life-project.html
2016年 http://tomocya-tomocya.blogspot.jp/2016/01/lovely-life-project-2016.html