2016年5月28日土曜日

第10回英語で茶話会 災害について語る



今日は英語で茶話会でした。第一回は昨年の6月6日でしたので、ほぼまるっと1年継続できました。本当に嬉しいです。スケジュールが合わなくて、でできなかった月がありましたがそれでも続けられたのは参加してくれるみんながいて、はじめてできることだと思っています。

本当にありがとうございます。

さて、今回は熊本・大分の震災がありましたので、災害についてみんなと話をしました。
みんな神戸、北陸、東日本の地震のことは覚えています。
そこでどんなことを考え、感じているのかとても興味がありました。

災害があると普段当たり前のようにあったものが手に入らなくなり、生活が一気に不便になります。そういった準備をすることや情報を入手する手段なども事前に考えておく必要があります。そんなみんなの知恵を共有することができました。

一つ気づいたことがあります。それは自分とか自分の家族が生き残る最低限の準備の話はあちこちで聞かれるし、準備はしているのですが「助け合い」の話って普段からしておく準備の話ではあまりされないように思います。

災害時は会社の安否確認システムで状況を報告するとか、もし何かあった場合も会社が社員と家族を守ってくれる仕組みがあるという話を聞きました。こういう話が聞けるのは茶話会参加者はサラリーマンが多いからですね。これはとても興味深い話でした。

会社は労働者を守る仕組みや制度があり、だから余計に会社中心になりやすいんだと気付きました。私の友人は会社以外のネットワークを持っている人ばかりですが、前職の会社の人のことを思い出してみるとプライベイトで社外の人との交流を積極的にしている人をあまりみませんでした。そうすると必然的に地域での交流は減ってしまいます。

大きな災害があった時、はじめは会社にいたとしてもみんな家に帰ります。関東は特に電車で1時間〜1時間半の通勤をしている人はざらにいます。そのくらいの距離が離れているところに仕事をしに行っているわけですから、災害の時にいきなり地域で「助け合い」は難しいですよね。やはり意識して自分の家のまわりのことは考えなくてはいけないと思います。

今の日本は8割以上サラリーマンです。しかも転勤のある人にとってみたら地域への意識やネットワークが希薄になってしまうんですよね。だけど準備や気にかけておかないと結局自分に跳ね返ってきます。

今回はそこまで話はできませんでしたが、少しだけ問題提起として最後にみんなに投げてみました。少しでもみんなが地域である活動などに目をむけたり、関わりに参加するようになれば、、と思いました。

Learn Do Shear 医療を料理「けんこうキッチン」


告知をかねて投稿します。

6月12日に新宿にある国際医療研究センターで参加型ワークショップイベントを行います。
タイトルは、《医療を料理「けんこうキッチン」~新宿のカオスパワーで未来の生き方をRe-imagine~》です。

今回のイベントでは複数のストーリーテラーの話を聞いてから、それぞれで色んなアイディアを出し合います。ストーリーテラーもヘルスケアの専門家だけではなく歴史学、人類学、IT、など幅広いジャンルの方をお招きすることを予定しています。これだけでもかなり贅沢です。

自分が考えている健康と他の人が考える健康とは違うことは認識していますが、どう違うのかそれはわかりません。でも全く違った切り口で考えることができそうでワクワクします。


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【イベント概要】
日時:2016年6月12日(日)12:30-18:00(12:00開場) 【+ 懇親会 ~20:00】
場所:国際医療研究センター (東京都新宿区戸山1-21-1) 
http://www.ncgm.go.jp/access/020/public.html
参加費:事前2,000円、当日2,500円/ドリンク付き
(高校生以下、60歳以上は無料⇒事前申込が必要です)
主催:Learn Do Share Japan 
(https://www.facebook.com/learndosharejapan/)

【参加方法】
以下の事前チケット購入にて[参加表明]となります。(Peatix)
http://ptix.co/27Bv5Nk

▼プログラム 5.5h (+ 懇親会 2h)
- 有識者のトーク(インプット)
- アイデーション (ダイアログからのアイデア創出)
- プロトタイピング
- チームでのグループワーク(未来へのストーリー創り=アウトプット)
- オープンディスカッション
- ラップアップ(ふりかえり)

【スピーカー紹介】*随時更新予定<3~4名予定>
☆ 松下博宣・Hiro Matsushita, Ph.D., 
東京農業大学・法人戦略室(東京情報大学看護学部設置準備室)教授

☆ 小出 一富・Kazutoyo KOIDE, 武術家・歴史学者

☆ 竹倉 史人・Fumito TAKEKURA, 作家・人類学者

【何をするのか?】
イノベーションプラットフォーム「Learn Do Share(LDS)」のプログラムを使って、「けんこう」+ 「ヘルスケア」をテーマに、独創的発想や自由な感性を紡ぎ合わせ、共感の輪を広げ、<未来づくりに向けた実験的プロセス>を体験することができます。実践的なワークとしてFabCafe全面協力のもと、プロトタイプづくりまで体験することができます。
LDSは、9歳の子供から80歳おじいちゃん、プカプカと世を旅する自由人、志のある起業家からギークな科学者まで、全ての人が参加できる非常にオープンなプラットフォームです。ローカルコミュニティにおけるボトムアップイノベーションの創出を目指し、活動にぜひご参加してみてください。
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LDSの雰囲気をビジュアルと共に知りたい人は前回のイベントサイトをチェック⇒https://www.facebook.com/tamadairaplant/posts/1677788929138593
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2016年5月26日木曜日

新たな一歩を踏み出しました

 
これは友人がわたしにくれたプレゼントです。
 
新たな第一歩とは、個人事業主として税務署に届け出をしたということです。
もともと一人で独立してやっていくつもりでしたが、諸々の諸事情やタイミングなどがあったので、退職して約1年でこの日を迎えました。
 
仕事自体はこれまでと変わりません。退職後と今では、ヘルスケアに関わる部分で社会を変えていきたいという思いは益々強くなっています。個人事業主という選択は、その活動をしていくための方法です。
 
「個人事業主」という言葉に、なんでも一人で決めて実行していくことなので、「自己責任」が身に染みて感じます。届け出の時は、自由がある分、責任もあることを自覚した瞬間でもありました。その割には、届け出自体の役所の対応のあっさりしたことってありません。
 
職員 「書類の内容はこれで大丈夫です。」
私 「え?他はないですか?」
職員 「ないです。不備があればご連絡します。お疲れさま」
 
先日商標登録した時は、今後の流れとか現状などいろいろと話してくれたのに・・・って思ってしまいました。まあ、職員の方にとっては申請だけのことだけしか見てないんでしょうね。そんな時に、日曜日のワークショップの話ではないですが「共感」してくれていないなって思いました(笑)
 
今後は事務作業を定型化して業務効率を上げる工夫をしながら、形として整えていくことをしなくてはなりません。それと自分のやるべきことに集中できるようにしていきたいと思います。
 
自分のアイディアが、人に、社会にどう貢献できるかを常に考えて前に進んでいこうと思います。
 
最後に、この私的イベントに対しても私は本当に多くの人に支えられているのだと実感しています。きっと何をしだすかわからない私だから、あれこれ心配されているんだろうなって思っています。
なかなか一人一人にそれを丁寧に伝えらえれないのですが、ここでお礼を言いたいと思っています。
 
 
私に関わってくれているみなさん、本当に感謝しています!
 
ありがとうございます!!
 

2016年5月24日火曜日

共感はしんどい


この写真は、ワークショップあとに食べたスープカレーです。

5月22日に岐阜大学教育開発研究センター主催の医学教育セミナーとワークショップin 東京医大に参加しました。私が参加したセッションは「共感する能力は教育できるか?」といったものです。

なかなか刺激的な内容でした。登壇された方は臨床心理士・心理カウンセラー、情報技術研究者、医師、心理学者で、「共感」をそれぞれの視点で教育できるものかお話いただきました。

「共感」はコミュニケーションにおいて必要なことといわれています。つまりコミュニケーションが必要な場面にはすべて「共感」ということになります。今回のテーマは医師に「共感」が必要という前提で話がすすめられました。

<共感とは>
そもそも「共感」とは何かというと、カール・ロジャースは《クライアントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じとること、しかし決してこの「あたかも〜のように」という性質を失わないままでそうすること》と定義しています。

また杉原保史は、《共感は個人の境界線を越えてあなたと私の間に響き合う心の現象、つまり「人と人とが関わりあい、互いに影響し合うプロセス」のことです。共感はただ相手とぴったり同じ気持ちになることをさすわけではありません。むしろ、互いの心の響きあいを感じながら関わっていくプロセスであり、それを促進していくための注意の向け方や表現のあり方などを指すものです》とあります。

自分以外の人は自分と同じように考えないし、重なる部分があったとしても完全一致はあり得ません。人は自分のもつ価値観が違うこともあるので、「え?ぜんぜんいいとも悪いともおもわないんですけど、、、」と思うこともしばしばあるわけなんです。

過去の経験が似ていたり、多少なりの知識があったりすると相手の見える景色が理解しやすいのですが、いきなり初対面や医療の現場で深刻な場合は共感って本当に難しいと思います。だからスキルだけ教えてもできるようにならないのです。微妙な間だったり、タイミング、ちょっとした対応、言葉遣い。変にスキルを教えると妙に違和感があることってないでしょうか(笑)できる人はできるのですが、できない人は本当にできない。営業でも同じでしたね。

共感は定義にもあったようにプロセスなので、「は?」と思ったりしてから相手の世界を一緒に見ようとするプロセスなので、とにかくめんどくさいし時間がかかる。

私も共感をするために、できるだけコミュニケーションをとる人の言葉の背景を理解する努力はするのですが、これまた価値観の違いだけではなく個人差というものもありますよね。そう考えるととにかくしんどい。つまり効率が悪いということです。ということは、個人の技量以上に今の忙しい現代社会では共感する難しさは増しているのではと思いました。

<医学教育で共感は教育するべき?>
今回、「共感は教育できるか?」という問いだったのですが、結論としてはどうやら出来ないことはない感じでした。よいimprimerがいて、さらに注意の向け方が身につけば時間がかかるかもしれないが学習が可能というものでした。10年頑張ってできるようになった人の話も聞くと本人の努力もあればある程度はなんとか教育できなくもない。

う〜ん、個人的な考えは、私は手術などのテクニカルな医療はコミュニケーションより技術が高い人がいいです。私が医療者に求めているのは変な共感よりも、情報と専門家として客観的な意見です。自分の治療は自分で選択したい。会話の中で自然と人して医療職の人と話せればいいですが、無理に私に合わせてほしくないし、強制もされたくないのであまり一生懸命なんとかしようとしないでいいです。

だからなんとかしようではなく、医学教育においては「あなたは共感が下手です。だから自分で注意してください」という評価でいいと思う。それを努力するか、自分にあった職場(診療科や医療機関)を探すかにすればよいのではと思ったりします。

というのは個人的には、共感なんてそんなしんどいことを今の医療職の人たちの労働環境や責任を考えると、このめんどくさい作業を専門職に強制するのはいささか忍びなく思っていたりします。また、本当に苦手な人もいます。ただ、評価はレッテルになるところが怖いなとは思っています。

<市民・患者は共感しなくていいの?>
医療者のワークショップなどをでていると、本当にいろんなことを考えています。反対に市民や患者が医療者のこのような状況を知る努力をしているのは、ほんの少数だと思います。多くはサービスの受益者としての意見が目立ちます。気持ちは理解できます。しかしそこで終わってしまっているようにも感じます。コミュニケーションはキャッチボールと同じなので、投げっぱなしもダメだし、受けるだけでもダメだと思います。相互の理解が不可欠です。

そもそも、人は同じでないし、自分と住む世界が違えば全く考える視点も見える景色も違う。でもそれをお互いを理解する努力も必要だと思っています。そうすると患者・市民がのことをわかっていない医療者はダメと決めつけるのはよくないと思います。そう言い切ってしまったら相互理解ができなくなってしまいます。

実は市民が賢くなるって相手の見える景色をみる努力だと私は考えています。つまり共感のプロセスを医療者と一緒にしていくことこそが、必要だと思います。治療について理解するだけでなく医療者の仕事の実態や感じ方など考えることも大事だと思います。

「なんだ!この医者!!」と思った時が、自分と他者との違いの気づきの時であり、共感の一歩だと思います。

2016年5月15日日曜日

人に会うこと


この写真は岐阜から訪ねてきたS田さんからのお土産です。

先週は人とじっくり話をすることが多かった週です。ひとりあたり大体4時間くらい話をしています。しかもわざわざ遠方からきてくださる方がいて、本当に有難く思います。今回は複数名いたので本当に感謝です。

そういう方々の話の内容は多岐に渡ります。完全に対話の時間です。じっくり時間をとって話をすると話をする方の価値観などもよく理解できます。ちゃんと相手に向き合って話をすることは、本当に勉強になります。自分にない価値観も当然あるので、「そんな考え方があるんだ」とか「そう考えてもいいんだ」と、自分ではない人を受け入れる土壌をつくっていっている感じです。

じっくり相手の話を聞くことって大事だと思います。プロジェクトベースで仕事をするとどうしてもその仕事を進めるためだけに話をするので、どうしても聞くことに集中できません。また人数が多すぎても集中できません。質の良い時間にしようとすると必然的に少人数になりますね。

人と会って話をすることは、メールやFB以上に大切な時間です。いい話ができたときは、パワーをいただけます。やはりこれも「場」の力なのかもしれません。

新しい話も聞けたし、とても充実した一週間でした。

2016年5月12日木曜日

本棚を整理したら

本棚からでてきてしまいました。古~い私の書き散らし。

https://drive.google.com/file/d/0B_6EjbcIlRHfX0tjQ2dydVM0QUE/view?usp=sharing

これは2003年に書いたもので、初めて原稿料を頂いた記念すべき書き散らしです。
このときは、「テーマはあるんだけど、なんでもいいから書いて」と言われて書いたものです。

なんとテーマが「嫉妬」! よく書いたもんだと笑ってしまいました。

この内容は実話です。自分がこのテーマをもらってはじめて考えたことをそのまま正直に書きました。多分、今このテーマで書くとしたらまた違った視点で書くと思うのですが、人間の感情を客観的に捉えようとしているところは昔も今も変わらないなと感じました。




2016年5月10日火曜日

熊本のプライマリ・ケアを応援し隊


写真は家の近くの歩道で咲いていたお花です。

まず、2016年4月14日に発生しました熊本県熊本地方を震央とする地震で被害に遭われました皆様には心よりお見舞い申し上げます。

ちょうどこのとき、在宅医学会の地方フォーラム参加のため福井にいました。ホテルに到着したのが遅く、TVニュースを目にすることもなく、ドコモのiコンジェルジュで地震があったことだけ認識していました。その晩、何度もiコンジェルジュの情報が入ってきました。ホテルだったので携帯のバイブ音が響くことと、私は寝床が変わるとあまりよく寝られないこともあって、かなり朝早くに起きてしまいました。

パソコンを開けて、ニュース等を見て本当にびっくりしました。またFBでも九州の友達が尋常ではない様子でした。

どうなっているんだろう・・・

東日本大震災のときのような妙な心のざわつきがありました。私にもできることがあるはず。とにかく情報を集めるならツイッターがいいと思い、見てみるとやはり被害は大きい。なので、とにかく必要でかつ出処のしっかりした内容の情報を見つけては情報拡散をしていました。

東日本大震災の直後は、自分も不安で何をすればいいのか、只々オロオロしていました。そして少し落ち着いたころも何か役に立ちたいと思っても何もできずにいました。そんななか自分の周りは医療者ばかりなので被災地に入る人も多く、またボランティアにいく人もたくさんいました。ところが、そのころの私は現地に行っても足でまといになるだろうと思って行動もできず、現地にいく人に物資を渡したり、わずかながらのカンバや寄付をしていました。あとはツイッターで現地の方とコミュニケーションをとったり、情報拡散をしていました。

いま考えると、ちゃんと後方支援をしていたんですよね。でも自分のしていることがよくわかっていませんでした。そのため、「自分は何もできない」と思っていました。

あるとき「ともちゃんがしていることは大事なことなんだよ」と教えてくれた人がいましたが、しばらくは自分のしていることが役に立っているのか、そうでないかの自信はまったくありませんでした。そのため、早く自分の行動に気づいていればもっと色々できたのではないかという後悔がありました。

そんな思いがあったからこそ、今度は自分がすぐに現地に行けなかったとしても何かできることを探してちゃんと行動しようと思ったのです。

それが「災害医療 プライマリ・ケア向けリンク集」です。

このサイトはやはりFBで何かできることをしたいと同じ時間帯につぶやいていた家庭医の菅野さんに反応して、同様に考えていた福島の菅家さんを中心に「熊本のプライマリ・ケアを応援し隊」を結成しました。現在のメンバーは7名です。

サイトは被災地で活動する医師・看護師・保健師・薬剤師・リハビリ技師など医療従事者向けに編集し、被災地のステージに合わせて検索する手間を省けるようなリンク集になるように情報を集めています。

私は一般情報(あと一部薬剤)を担当しています。私の視点は直接的な医療というより、被災地の方がなんらかに困っている話を聞いた医療者がちょっとした情報として伝達できるといいなと思ったものを探しています。

もちろん十分な情報ではないと思いますが、少しでも元気になってもらえるようにと思って活動しています。

現在は、結成当初とフェーズが変わってきており、サイトのリンク情報を修正し始めているところです。まだまだ道半ばですがより良いものへとしていきたいと思っています。

この趣旨に賛同していただける方がいらっしゃいましたら、ぜひこのサイトを現地や支援に入る医療者の方にご紹介いただけないでしょうか。また内容に関してもご指摘をいただければと思います。

1日でも早い復興ができますよう、心からお祈りしています。







2016年5月9日月曜日

たまには医薬品産業の話も


久しぶりにぼーっとしたゴールデンウイーク。追われることも、昨年のような焦りもなく、淡々と過ごした1週間でした。写真は旅行で行った天保山です。

さて、最近は医療の話が多かったのですが、一応これでも医薬品産業の人でしたのでその話も書かないと「一体どれだけ無駄な時間を費やしていたのか?」と言われてしまうので、たまには書いてみたいと思います。

「高額薬剤議論で浮上する3つの視点 焦点はマーケット 適正使用がカギに」ミクスオンライン 

中を読んでいただくとわかるのですが、抗がん剤やC型肝炎の新薬の薬価がびっくりするほど高いのです。さすがにこんなに高い薬価の薬がでてくるとは思ってもみなかったです。
さらにオプシーボの薬剤費だけでも年間一兆7500億円と試算されています。
現在の医療費が約40兆円、そのうち薬剤費が約10兆弱です。

まず普通に思うのは、こんなに誰が払うのか?ということです。国民皆保険制度が続く以上は国民全体で負担をしなくてはならならず、いつの間にか負担を強いられる可能性があるのです。ではお金がある人だけが高額な薬剤を使えるようにすればいいのかというと、そういうわけにもいかないと思います。命をお金で選別するのかという話にもなります。

これも本当に悩ましい。

私の視点でこの高額医療費についてどう思うかというと、がんの領域に限ったことでいうと保険で認められる上限はあったほうがよいのではないだろうか。
これはけっしてこれは命の選別ではなく、従来の医療がけっして悪いものではないとおもっているからこその意見です。

時代とともに医学の進歩があり、いまや日本は諸外国に比べとてもいい医療を受けられている。がんの領域に関してもレベルが低いわけでもない。問題は患者自身がそれを納得するかどうかという点です。

これはみんなで理解を深める必要があることだと思っています。

もうひとつこのニュースをみて思うことがあります。それはこれらの医薬品がバイオ医薬品であるということです。日本企業がもっとバイオ医薬品に力を入れてほしいと思うことです。バイオ領域と広げると日本は世界にそれほど遅れをとっているとは思えません。しかしバイオ医薬品の開発になると非常に遅れをとっていると言わざるをえないです。
新薬のバイオ医薬品だけでなく、バイオシミラー(バイオ後続品)の開発を進めれば特許きれ以降は薬価を下げることができます。医薬品の開発は時間がかかることとバイオの技術は従来の低分子化学合成の医薬品より製造工程が複雑で品質管理が難しいです。そういったところに日本の企業の良さがでてほしいと思っています。そうすることで先程の医療費の上限の話も何年後かに特許が切れてバイオシミラーだったら保険が効くという選択もあると思うのです。

単純によい、悪いだけの議論にならず様々な視点から、医療保険のことを話せる機会があったらいいなと思っています。



<参考> 用法用量
オプシーボ20mg 150,200円  製品基本情報 小野薬品*1 .根治切除不能な悪性黒色腫 化学療法未治療の根治切除不能な悪性黒色腫患者の場合: 通常、成人にはニボルマブ(遺伝子組換え)として、1 回 3mg/kg(体重)を 2 週間間隔で点滴静注する。 化学療法既治療の根治切除不能な悪性黒色腫患者の場合: 通常、成人にはニボルマブ(遺伝子組換え)として、1 回 3mg/kg(体重)を 2 週間間隔又は 1 回 2mg/kg(体重)を 3 週間間隔で点滴静注する。
2 .切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌通常、成人にはニボルマブ(遺伝子組換え)として、1 回 3mg/kg(体重)を 2 週間間隔で点滴静注する。

 
ソバルディ 42,239.60円   医薬品情報 PMDA 
リバビリンとの併用において、通常、成人にはソホスブビル として400mgを 1 日 1 回、12週間経口投与する。

 ハーボニー 54,796.90円 医薬品情報 PMDA
通常、成人には 1 日 1 回 1 錠(レジパスビルとして90mg及び ソホスブビル
として400mg)を12週間経口投与する。 





2016年5月3日火曜日

もう一つの名刺



名刺をもうひとつ作りました。
多分また直したくなると考え、発注すると高くなるので自分で作成しました。

漢字の名前をいれようかどうしようか迷っているくらいなんですが、まあしばらくはこのくらいかなでいいかなと思っています。

なぜ名刺が必要になってきたかというと、自分の仕事がわかりにくいということをよく言われます。FBで食事の写真ばかりアップしているせいだけでは決してないのですが、「ともちゃんって何をしているの?」と聞かれることも多々ありです。

それと最近はビジネス寄りの事もちらほら出始めているので、ちょっと私のできる仕事がイメージできないのも困るというのもあります。

ソーシャルビジネスプロデューサーとは、社会的な問題や課題をビジネスという視点で解決策としての新規事業を作っていく人という意味です。コンサルタントにしなかったのは、コンサルタントはあくまでも外の人で、分析してそのあとはクライアントの責任で実行してくださいという提案だけのスタンスです。これは結局、現場と出された解決策は乖離しており、高いお金だけ払って現場が混乱するなんてザラにある話です。私はそんな無責任に他人の土壌を荒らすようなことはしたくないし、現場を大事に考えていきたいと思っているのでプロデューサーにしました。

ビジネスプロデューサーという言葉はすでに使われており、新規事業を作る人という意味です。はじめはそちらを提案されたのですが、やはり私がやりたいのはソーシャルビジネスの分野になります。

それと医療者の中ではビジネスというと悪いことのように考える人がいますが、それは認識が間違っています。医療機関でも診療報酬でお金儲けをしているのですが、それは悪いことなのでしょうか。だれも医療機関の人を悪い人だなんていいません。どうしてもそんな誤解も強いので、ビジネスプロデューサーじゃないほうがいいなということも考えました。

まだまだ実績が出せるようになるのは先ですが、着実に前に進んでいきたいと思います。

2016年5月1日日曜日

問題解決ではなく課題解決を


家の近くに咲いていたツツジです。薄いピンクで可愛いですね。

最近考えていることですが「なぜみんな方法論ばかり目が行くのかな・・・」です。そう思ったのは「それはどういうこと(これは何?)」この系統の質問はよく聞きますが「なぜ?どうして?」の質問をあまり聞かれないように思います。他にも勉強会の多くが「○○になる方法」というタイトルが多いように感じています。

たぶん、それぞれ自分の聞きたい部分があって、その答えを求めてきているから質問がそうなるのかなと思います。その聞き方自体はまったく間違いではないです。

確かに「どうすればいいですか?」手っ取り早いし、知識が少ない時は人に聞くことは悪いことではありません。しかし、ちゃんと自分で本質を考えているのかな?と思うこともしばしば感じるのです。

それは方法論というのは自分で「課題」が明確になっているときに初めて意味があることだと思うからです。

地域の課題を解決するという言葉が出てきますが、多くは実は「問題」にしか目を向けていないと思います。
問題と課題は全く違います。またまたネットの辞書でしらべてみました。

問題とは
1 解答を求める問い。試験などの問い。「数学の―を解く」「入試―」
2 批判・論争・研究などの対象となる事柄。解決すべき事柄。課題。「そんな提案は―にならない」「経済―」「食糧―」
3 困った事柄。厄介な事件。「新たな―が起きる」
4 世間が関心をよせているもの。話題。「―の議員」

課題とは
1 与える、または、与えられる題目や主題。「論文の―」「―図書」
2 解決しなければならない問題。果たすべき仕事。「公害対策は今日の大きな―である」「緊急―」

問題の中に課題が含まれていると理解してもいいのかもしれません。

さらに問題は目の前にある「厄介な事象」です。それに対して、課題は「あるべき姿に対する解決すべき問題=現状とのギャップ」によって生まれるものです。

そう考えたとき、いま世の中の人たちが言っていることって単なる「問題(厄介な事象)に過ぎないのじゃないの?と思うのです。なぜならば、あるべき姿の議論があまりありません。

よく聞かれるのが、「あるべき姿が示されてない。だから地域包括ケアがわからない」
う〜ん、これって・・・示されないといけないものなのかな?

あるべき姿ないところで議論をしても「問題(厄介な事象)」しか出てこないですよね。


また表面に出ている問題の本質までたどりつかないと真の「課題」を見つけることはできません。深く掘り下げるので、あるべき姿に対して課題はせいぜい3個ぐらいにしかなりません。

もう少しいうと、たくさんの問題を解決しても真の課題に遠くはなれたものであればあるべき姿にいつまでたってもならない、ということになります。

組織でも個人レベルでも自分はどうなっていたいのか、どのような状態があるのかが鮮明に描く必要があります。最低限でも方向が見えなければ、どんな解決策も意味をなさないとも言えます。


さらに地域の話では、あるべき姿はみんなで見つけて合意形成をしていくべきものです。それができていないからみんな好き勝手な方向と結論で議論が空中戦になるのです。その原因はそれぞれの心理学でいう「認知」が違うからです。これは一つの事象に対して同じ絵をみてもみんな違うように捉えてしまうことと理解するとわかりやすいと思います。

あるべき姿が見え、組織の場合それが共有されたあとは方法はいく通りにもあります。また現状問題となっている事象の根本原因を見つけ真の課題発見に結びつきます。

「現状が課題だらけだ!」と思ったら、いま描いているあるべき姿が本当のあるべき姿なのかということを見直してみるといいと思います。