この写真は、ワークショップあとに食べたスープカレーです。
5月22日に岐阜大学教育開発研究センター主催の医学教育セミナーとワークショップin 東京医大に参加しました。私が参加したセッションは「
共感する能力は教育できるか?」といったものです。
なかなか刺激的な内容でした。登壇された方は臨床心理士・心理カウンセラー、情報技術研究者、医師、心理学者で、「共感」をそれぞれの視点で教育できるものかお話いただきました。
「共感」はコミュニケーションにおいて必要なことといわれています。つまりコミュニケーションが必要な場面にはすべて「共感」ということになります。今回のテーマは医師に「共感」が必要という前提で話がすすめられました。
<共感とは>
そもそも「共感」とは何かというと、カール・ロジャースは《クライアントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じとること、しかし決してこの「あたかも〜のように」という性質を失わないままでそうすること》と定義しています。
また杉原保史は、《共感は個人の境界線を越えてあなたと私の間に響き合う心の現象、つまり「人と人とが関わりあい、互いに影響し合うプロセス」のことです。共感はただ相手とぴったり同じ気持ちになることをさすわけではありません。むしろ、互いの心の響きあいを感じながら関わっていくプロセスであり、それを促進していくための注意の向け方や表現のあり方などを指すものです》とあります。
自分以外の人は自分と同じように考えないし、重なる部分があったとしても完全一致はあり得ません。人は自分のもつ価値観が違うこともあるので、「え?ぜんぜんいいとも悪いともおもわないんですけど、、、」と思うこともしばしばあるわけなんです。
過去の経験が似ていたり、多少なりの知識があったりすると相手の見える景色が理解しやすいのですが、いきなり初対面や医療の現場で深刻な場合は共感って本当に難しいと思います。だからスキルだけ教えてもできるようにならないのです。微妙な間だったり、タイミング、ちょっとした対応、言葉遣い。変にスキルを教えると妙に違和感があることってないでしょうか(笑)できる人はできるのですが、できない人は本当にできない。営業でも同じでしたね。
共感は定義にもあったようにプロセスなので、「は?」と思ったりしてから相手の世界を一緒に見ようとするプロセスなので、とにかくめんどくさいし時間がかかる。
私も共感をするために、できるだけコミュニケーションをとる人の言葉の背景を理解する努力はするのですが、これまた価値観の違いだけではなく個人差というものもありますよね。そう考えるととにかくしんどい。つまり効率が悪いということです。ということは、個人の技量以上に今の忙しい現代社会では共感する難しさは増しているのではと思いました。
<医学教育で共感は教育するべき?>
今回、「共感は教育できるか?」という問いだったのですが、結論としてはどうやら出来ないことはない感じでした。よいimprimerがいて、さらに注意の向け方が身につけば時間がかかるかもしれないが学習が可能というものでした。10年頑張ってできるようになった人の話も聞くと本人の努力もあればある程度はなんとか教育できなくもない。
う〜ん、個人的な考えは、私は手術などのテクニカルな医療はコミュニケーションより技術が高い人がいいです。私が医療者に求めているのは変な共感よりも、情報と専門家として客観的な意見です。自分の治療は自分で選択したい。会話の中で自然と人して医療職の人と話せればいいですが、無理に私に合わせてほしくないし、強制もされたくないのであまり一生懸命なんとかしようとしないでいいです。
だからなんとかしようではなく、医学教育においては「あなたは共感が下手です。だから自分で注意してください」という評価でいいと思う。それを努力するか、自分にあった職場(診療科や医療機関)を探すかにすればよいのではと思ったりします。
というのは個人的には、共感なんてそんなしんどいことを今の医療職の人たちの労働環境や責任を考えると、このめんどくさい作業を専門職に強制するのはいささか忍びなく思っていたりします。また、本当に苦手な人もいます。ただ、評価はレッテルになるところが怖いなとは思っています。
<市民・患者は共感しなくていいの?>
医療者のワークショップなどをでていると、本当にいろんなことを考えています。反対に市民や患者が医療者のこのような状況を知る努力をしているのは、ほんの少数だと思います。多くはサービスの受益者としての意見が目立ちます。気持ちは理解できます。しかしそこで終わってしまっているようにも感じます。コミュニケーションはキャッチボールと同じなので、投げっぱなしもダメだし、受けるだけでもダメだと思います。相互の理解が不可欠です。
そもそも、人は同じでないし、自分と住む世界が違えば全く考える視点も見える景色も違う。でもそれをお互いを理解する努力も必要だと思っています。そうすると患者・市民がのことをわかっていない医療者はダメと決めつけるのはよくないと思います。そう言い切ってしまったら相互理解ができなくなってしまいます。
実は市民が賢くなるって相手の見える景色をみる努力だと私は考えています。つまり共感のプロセスを医療者と一緒にしていくことこそが、必要だと思います。治療について理解するだけでなく医療者の仕事の実態や感じ方など考えることも大事だと思います。
「なんだ!この医者!!」と思った時が、自分と他者との違いの気づきの時であり、共感の一歩だと思います。