2017年8月10日木曜日

BEINGについて語りあい 〜がん哲在宅部会参加


8月5日、6日に伊豆でがん哲学外来在宅部会の合宿があり参加してきました。この会はがん哲学外来のカフェに参加したことがある人が条件ですが、それ以外は特に縛りはなく代表の東英子先生(あずま在宅クリニック)の人柄に惹かれて集まっています。今回は2年目に入るということで「合宿をしよう!」という話になり、重要文化財である韮山代官江川家に行きたいということで伊豆合宿が決まりました。遊んでいるのか、真面目なのかよく聞かれますが、基本的にはどちらもですね(笑)今回はファシリテーターをする上でのあり方や感じていることを共有しました。

がん哲カフェの場合は、どうしてもがん患者やその家族がその場に集まります。これがほかのカフェとは違う特徴があります。他のカフェでは「死」をあまり身近にかんじないところで話をしますが、がん哲カフェは常に「死」を意識した会話がそこで行われます。私もとても気を使います。

会議の中で私は中動態という概念と自由診療の話をしました。

我が国の医療では保険適応されているものは一定以上のエビデンスがありますが、自由診療で行われているものは必ずしもそうではありません。だからといって自由診療のすべてをNGというのも私はすべきことではないと思っています。なぜならば、それを選択するのは患者自身だからです。

十分に情報提供がなされており、さらに本人に金銭的な余裕もあって本人が希望するのであればそれを止める合理的理由はありません。最近の二元論で語られる「自由診療をするところはすべて悪」とは私は考えません。偽りの情報や誇大広告などはそもそも問題です。そこに対しては許されるものではありません。

確かに医療知識の差があるなかで、十分な情報提供がされない状態で自由診療がおこなわれることはすべきことではありません。患者自身が自由診療を受けるということにどのくらいの価値をもち、さらにお金を払うという行為をどのように感じているか、それが重要なことだと思います。医学的なエビデンスがすべてではありません。人間は医療のためにあるのではなく、人のために医療があるのです。

人というものは意志があって行動するとは限りません。また人のなかで起こっていることは外からはわかりませんし、本人すらわからないことというものは沢山あります。その世界観で考えてみることを私たちはしていくべきではないかと思っています。今回の中動態の話はそういったことを話するための呼び水としてお話をしました。

二元論は息苦しいというのが私の感覚です。

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