2016年6月1日水曜日

始めないこと、止めること



この花はたぶん、紫陽花の仲間だと思います。いろんな種類があるんですね。

今回は、人生の最終段階における経管栄養の中止について書いてみようかと思っています。あらかじめ書いておきますが、単純にいいとか悪いとかいう話じゃないです。それを考えるのは各個人だと私は思っています。

<経管栄養について>
まずはどんなものかということを書いておきます。
食事を経口摂取できなくなったときに行う栄養補給のことを、人工的水分・栄養補給(AHN:artificial hydration and nutrition) と言います。簡単にいうと口以外から栄養や水分を取る方法のことです。ほかにもありますが、代表的なものは下記のものです。

食事が取れなくなったときに選択される栄養管理の方法の一つに経管栄養があります。経管栄養も経鼻経管栄養と胃瘻からの経管栄養とあります。どちらも一長一短があり、どちらが良いとも言い切れない部分があります。

経鼻経管栄養だと鼻からチューブを入れるという簡便さはありますが、鼻の周りがうっとおしく、チューブが硬いと潰瘍ができることもあります。そのうっとおしさから自己抜去してしまうこともよくあるので、それをさせないためにミトンをはじめ、身体拘束をされてしまうことも少なくありません。
それに対して胃瘻は内視鏡をつかって胃に穴を開けるのですが、胃瘻を作れる医師が必要ですが、顔の周りにチューブがないので自己抜去することもほどんどなく、管理は経鼻経管栄養と比べると楽になります。しかし、一般の方の胃瘻に対する抵抗感って思った以上にあるのではないかと思います。よく聞かれるのが「自然ではない」という言葉です。しかし口から食べられない以上、どの方法も自然ではないと私は思います。

経管栄養以外の栄養管理の選択肢はIVH(中心静脈栄養)があります。これは中心静脈にカテーテルを入れてそこから高カロリー輸液を入れます。カテーテルの管理などが経管栄養より難しいですが、あまり長期間のカテーテル留置はしないほうがいいものです。

これらの選択は患者さんの病態などで変わってきます。つまり、経管栄養は栄養補給の方法のひとつと理解してもらえればいいかと思います。

<人生の最終段階における意思決定プロセスガイドライン>
AHNの開始・中止についても様々な議論がありますが、患者の意思を尊重したなかでで最も患者にとって益のあるものを選択するという考え方をすべきだと私は考えています。基本的には厚労省のガイドラインに沿っていくプロセスになります。

このガイドラインができるまでの経緯は、2001年に日本老年学会からの「立場表明」が出てから、医療の意思決定のプロセスについて多くの議論が重ねられ、2012年にその立場表明について改定がなされました。同年に「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン 人工的水分・栄養補給の導入を中心として」も発表されました。

この流れの中、2007年に厚生労働省から「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」がだされ、これをシンプルにしたような形で、2014年に「人生の最終段階における医療の決定プロセスガイドライン」がだされました。

まず患者の意思決定を尊重するという考え方が根底に流れており、それには本人と医療者が話し合うというプロセスがあり、「一人で決めない」、「一度にきめない」を原則に医療の決定をするものです。このなかにも中止についてNGではありません。慎重に議論を重ねてた上での判断を促すようなものになっています。(人生の最終段階おける医療の決定プロセスガイドライン(解説編)

このガイドラインは非常によくできていると思うのですが、なぜかあまり使われていません。そこには誰かに決めてもらったほうがいいという心理があるのではないでしょうか。ひとつは「共感はしんどい」にも少し書きましたが、価値観の違いを紐解いていくプロセスはしんどいです。いまの現場の大変さや責任から考えると「決められた通りのほうが楽」と思考が止まってしまう人もいると思います。それとガイドラインも診療報酬等で誘導したものではないため、やらなくても痛くもかゆくもないと思っている人も中にはいるのだと思います。

<別にやめたっていいの>
実際の現場の話を聞いてみると、医療行為は始めないことはそれほどハードルは高くないですが、中止となるといくらガイドラインに書いてあっても難しいようです。行っていた医療行為をやめるというのは命を短くさせてしまうことにもなり、医療者には抵抗感があるようです。またガイドラインはガイドラインですから、法的拘束力はありません。もし何かあったら訴えらえるかもという恐れもあると思います。そういった現場の葛藤は良く理解できます。本当にいろんなパターンが臨床の現場にあります。

しかし、よく考えてみると、それは本当に患者自身が望んだ医療なんでしょうか。患者中心という名目の「患者・患者家族まかせ」の意思決定をする医療者もいることを私は否定しません。さらにこういった場面で医療者が迷うのは本人に意思確認ができない場合です。そして、ゆえに本人以外の人が本人の意思とは関係なく話が進んでいることって多いと私は感じています。

自分に戻って考えてみると、自分の意思と違うものを押し付けられたら、「もう私に触らないでください」って思ってしまうでしょう。AHNだって、ほかの医療だって自分で選択したい。それが嫌でリビングウィルやDNRを書いていたとしても、いざ私の意思を伝えることができないときに、それがあっても医療者が躊躇して中止してくれてないとしたらそれも嫌です。

やはり自分の受けたい医療についてあらかじめ考えるだけじゃダメだし、どうやったら伝えられるのかももっと考えていかないといけないと思っています。
問題が山積みですが、ひとつひとつ議論を深めていきたいです。




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